色々知る、大事さを私は何度も書いている・・・
しかし、目を背けたくなる・造像を絶すると表現する事柄、ものを見せる、特に子供達にと成ると、やはり恐怖心が有る。
私が27歳か28歳の時に・・・三男を授かった・・・・嫁は体が弱く、妊娠中毒症と言う事で、用心をさせていたが・・・その当時は、私は仕事馬鹿と言われる程・・・・稼ぐ為に、家や家族の事など、心にとめる事のない様に働いていた時期でもある。
久留米市に有る、大きな病院から、電話が会社に・・・・私の嫁が運ばれた・・・直ぐに来てくださいとの事・・・当然、仕事と言って断ったが・・・何度も電話が有り、主治医から・・・緊急手術が必要・・・最悪、子供は諦めて下さい・・・母子双方の命が危ない、手術同意書にサインをと電話が有ったが・・・・私が来ても、何の役にも立てない、私の母・里の母が来ているので有れば、母達にお願いしてくださいと、頼んだ記憶が有る。
私は、仕事をして、稼ぐ之が使命と考えていた時代・・・週の売り上げを自分なりに決めて、営業で無い身分だが、それを環椎するという思いで・・・その時も会社を出たが・・・何故か、私が勝手に決めている部分なのに、私は一人の課、社長に嫌われているので、課の部下は居ない・・・しかし、他の課の後輩たちが、頑張って、結果を出してくれたので・・・・次の日に行く事が出来た。
私は、社長の言葉、之を環椎する。この思いが強い・・・立場は何であろうと、思いの答えるのが部下だと考えている。勿論、趣旨の部分に対し手に成る。
飾った部分等々は意識しない・・・ただ、会社を維持し、社員に給料を払える、稼ぎが必要と言う部分は、馬鹿な私でも理解できる。
誰が稼ぐか・・・立場等々、無いと考えている・・・絶対に、数字は環椎する、何が有っても、これが私の拘りに成る。
この部分は、仕事だけでなく、色んな部分で同じように、私を向かわせる・・・一度、尊敬した、慕った人の、思いに答える、之は、私の勝手な行動に成るが・・私の基本部分に有る。
病院に生き・・・・・未熟児が、居る、部屋に案内された・・・殺菌の為に処置、衣装を着けて、入室・・・・・多々の赤ちゃんが、横たわっている・・・保育器に入り、管を色々刺され・・・又、人とは見えない赤ちゃんも居る。
その時に、目を背けたく思いも有り、我が子を探す為に、目は赤子を凝視する方向で、奥に置くに向かった。
看護師さんの詰所から一番遠くに、我が子が、保育器に入っていた・・・管は刺さっていない・・・何の器具も装着されていない・・・自発呼吸もしている。この姿を見た時に、涙が出たし・・・生きていて有難うと思えた・・・足の太さは、大腿部で私の小指と同じ位・・・小さい、小さいが・・生きようと努力している・・・感動も与えてくれた。
人として、最低かもしれない・・・他の赤ちゃんの比較する、又、入室時は、我が子を探す為に、必死に、保育器の中を覗いていたが・・・帰る時は、当然、目もくれず急いで出る。行動をしていた。
私は、現代の価値観だと、差別主義者だと思っている理由が経験から解った部分に成る。
90日程、三男は入院・・・退院後は、当然、通院が続く・・・私は、その費用の捻出の為にも働く・働くと成る。
通院に付いて行く事は出来なかったが、嫁から、色んな子供が居ると、聞くようになる。
三男が、泣き出す様な、様相の子も多々居る・・・我が子に感謝に成る。
若し、私の稼ぎ、能力なら、その様な子を授かったらと考えると、無理だと直ぐに答えを出すと思うからに成る。
人の動物なので、最終的には自己保身、この本能が出る。この部分は学者でも仕方が無いと言うが・・・・最終的が余りにも浅いと、私自身思えたので、差別主義者の命が私に有ると感じた事にも成る。
色んな人が居る・・・耳には入っていたが・・・実感が無かった・・・時間が無ければ、奇麗ごとも言える・・・しかし、若し目の前に、ボロボロの人が手を差し伸べた・・・この時、どの様な振舞いが出来るか・・・・私は神で無いので、逃げる可能性が高い・・・
それが、解っているから日頃から、徐々に訓練と意識して、頑張るしかない。
要は、実際の経験かが大事に成る。
しかし、嫌で汚いと思える経験は避けたいとも考えるのが、私、この部分も三流が故だと思う。
以前も書いているが、力が有り、能力が有るという事は、私が抱えきらないと思える物も、簡単に持てると思う・・・・要は、問題と捉えない力が有るか・・・些細な事でも問題と捉えてしまう力かの違い・・・
私が一生かかっても、出来ない事を・・・一瞬で出来る、之が力だと私は考えている。
様相は、鼻歌交じりで、簡単に処理を現実にしているか????・・・旗歌交じりで何もしていないか????・・・様相は同じでも結果は大きく違う・・・之が力の有る無しだと私は考えている。
多くの汗を流して、事を成す・・・三流なら仕方が無い・・・・
涼しい顔をして、事を成す・・・一流なら当然と成る・・・
しかし、自称一流は、この一流の様相を真似して振舞う・・・・結果は、事を成さず、問題を増やす・・・・
世の中を進めようと事を成し続ける人も居る・・・勿論、逆に事を創り、問題を増やす人も居る。
何方を目指すか????・・・この部分が教育に成る。
その為には、親としては、子供に目を背けたくなる・・見せたくないが、言葉として教える事が大事だと考えている。
色んな人が居る・・・皆、生きているし、生活が有る・・・必死に生きている人も居る・・・色んな生き様が有る・・・・・・
その生き様で、何を選ぶかに成る・・・・・要は、多々の生き方が有るが、誰かが歩いた道に成る・・・その生き様を知る、それが結果に成る・・・
結果を夢見る・・・そかし、その結果への生き様は、知らない・・・・
之が、我が子の現状に成る・・・結果を夢見ているが、その道を知らないという事・・・
之を、教えるのも親の責任だと考えている。
人間として、一番大事な部分・・・お金なのか???権威なのか???等々も結果を定める時に大事に成る。
私は、和楽が一番だと考えている、小さな集団のン家族が・・・と・・成る・・
その為には、当然、色んな道から探す事に成る。
勿論、世間では平等と言うが、私は差別主義者なので、各自背負っている物も違う・・背負った状態で、自分の能力で、どの道を選ぶかに成る。
人生か片道切符を母は言っていた・・・だから、目的地を選び、道を選ぶ大事さが有る。
何が目標か、目的か・・・それを知るにも、色んな生き様や、色んな人を知ることが大事に成る。
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