2019年9月29日日曜日

人の目が・・・一つ????

今月も、一人の先輩が亡くなった・・・・当然、告別式等に参列するが・・・

何故か、参列されている人の私を見る目が一緒に感じる。

基本は、場違いの私が何故来ている?????・・・・この様な目に成る。

私は縁が有り・・・色々お世話になったし恩を感じるから、参列しているだけである。

参列して、感謝の思いを届けたいと考えている。

しかし、参列者の私と故人との関係性は・・・中が悪い・嫌い・・・なのに何故と成っている様だ・・・

本当に仲が悪く、嫌いなら、接しなく・縁を切る方向に成る・・・之をしなかった事は、嫌いで無いと言う事に成る

何かを吸収したいと思うから、言い合いもするし・喧々諤々となる、この場面を参列者が見ているから、仲が悪い・嫌いと思い込んでいる様だ・・・

何故、喧々諤々が出来るか、信頼が有るからに成るし、それが無い人だと、当然、最後は本当の喧嘩に成るので・・・喧々諤々はしないし、この様な、タダの人なら、私あ参列もしたいとは思わない。

私だけかも知れないが・・・・・この様な場所で、仲が良かったと見える、参列者から、個人の悪口等々が、耳に入る場合が多い・・・・・

以前、学友の告別式で、この様な話に成っていたので・・・私は少し興奮して、故人の問題を知っていて、近くにいた、思えらは何をしていたか?????・・・聞いたら、嫌われるから言わなかったと言っていた・・・私は、呆れた・・・・友と言って、共に多くの時間を過ごして、結果として、救う事が出来なかった、この部分を悔いていない。

最終的に死ぬことは負けだと、言った為に・・・私は切れてしまった。

人の集まりとは?????・・・・色々あるが・・・・会合や集会等でない、ただの集いなら・・・各々のレベル・色で、色々な事を学び合う場だと思っている。

しかし、会合や学校のクラスの様に・・・個人が趣旨でなく、この塊としての色に染まれ的状態に成っている。当然、染まれない人は、去る事に成るが、中にはしがみ付き、無理する人も出て来る。
この中には????・・・この人達が全体数に近いと言う、集団も出て来る。

本来、あたまが良く・・・優秀なら・・・・色んな色をしていて良いと思うが、何故か、大きな集団の塊の、色に属していると言う、人達が、マスコミ等の、討論会に出ている事が多い。

簡単に言えば、赤の集団で、赤に属している、桃色や、紅色・・・等々の色の違いでの討論が多い感じがする。

簡単に書けば、我欲が満たされていない。人達に成る。貧乏で三流の私の目からだと、満たされてない人も、大金持ちに見えているが・・・・

しかし、可哀そうにも見える・・・・・唯物的部分から、脱しえないし、唯物を多く貪った方が、幸せ・幸福と言う、価値観・・・・この様な人が、今の社会では優秀で一流だから、マスコミの討論会等で、出席していると言う事を観ると、基本の社会の本心が見えてくることに成る。

出演者自身が、自分は幸福とは思っていない、結果、奉仕等の話に向かうと、自分は関係ない、上のレベルがするべきと言う論争に成る。

貧乏な私から見れば、テレビ等に出演で居る人は、裕福だと見える。風貌を見ても、発言の、普通の部分が、私の自弁から見れば、雲の上の普通に成る。

低層に居る、私でも分に応じた、奉仕が出来ないかと模索している。
お金は持たない為、体で済むならと、走り回る事も多々ある。

私は、何度も書くが、分相応の奉仕が出来れば、世の中は丸く収まると考えている。

要は、自分の為と、他人の為・・・之が平等であるなら、世の中は良くなる。

若し、自分の為が強ければ・・・当然、他人に迷惑を掛けている事に成る。
迷惑を被った、他人が、自分の為に生きた人に手を貸すか????
当然、貸さない・・・之を理解しているから、他人を当てにしないと成る。

仮に、現代の世の中で、上層階層に、行く為には、自分の為・・・この部分を強く意識して成った人が多いなら・・・上層階層は、他人の為、等々、考える人が少ない階層に成る。

この階層の人が、マスコミ等の討論に参加する事に成る。

勿論、討論できる・・・話術が必要に成るので、仕方が無い部分と思うが・・・

私は、何度も書くが、自分の持ち場、家庭人とするなら・・・家の住む、皆の思いを知る事が大事だし、又、その中での討論・学び合いが大事だと考えている。
その中で一番大事なのは、一対一・・・人が増えると、如何しても立場や、話術に長ける方向が、誘導する事に成る。

村内でも同じ・・・・日頃の、一対一での話、道で会った、しばしの語らい等々で、対話を続ける事が大事だと考えている。

集団かすれば、当然、社会的風潮や常識・普通が表に出だす。
この部分に縛った状態での、討論等々無意味だと私は考えている。

先に戻るが、日頃、この様な一対一の、語らいをしていて・・・当然、叱咤や意見の相違が有る・・・之を観たり・聞いて、仲が悪い等々をイメージしている。
私の学友にも、数人は自殺した・・・当然、問題も知っていたし、合うと、叱咤したり、今付き合っている人から、離れろ等々、言っていたが・・・結果は自殺・・・私は悔いしかない・・・本人と家族には、申し訳なさが残っている。

よく、自殺者は、個人の問題と言われる。しかし、現実には彼の周りの環境が、追い込んだと私は考えている。
仲間が大事・結果はその集合体が大事だと、自分の分を超える、振舞いをした・・・当然、分を超えている部分の、負が、増えだす・・・・その集団に属した他の人も薄々は知っているが、故人の気を悪くする等々の理由で、指摘しない。
結果、闇金等々に手を出し・・・故人だけでなく、一家が崩壊した。
この様に理解している、私に、所詮ん、死ぬ・・負けと言う、その仲間が私は解らない。

仮に、野生動物と同じで、生存競争の世の中かも知れないが・・・友なら、共々に生き残る、之を最優先に考えるべきであると思う。

この様に、集団を組む、リーダーも存在する・・・基本は先に書いた、一対一の対話、之で問題を、知ったうえ・・・・小さい・個々の部分を知った上での、リーダーとしての大局観が求められる。

我村の高齢者、特に、女性に多いのが、人の日頃の振舞い・・之が信用できない人が、何故か、リーダーと手を上げると言われていた。

親お介護も経験が無い、子育ての経験もない・・・等々・・・悪いも良いも含めと多々の経験をした、之が人の厚みだが・・・・・この厚みが無い、格好良い、肩書だけがものを言うと言われていた。

若い時は、お金が飛んでくることを夢見るが・・・老いると・・・・
誰が、飛んでくるか????・・・・之が昔なら、家の後継者だったが・・・今はそれが不在か居ない・・・・・この不安が有る間は、良い時代だとは私は、思わない。








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