2019年9月28日土曜日

井戸・・・

我が家には井戸が有る。
雑水は、井戸水を使い・・・・水道代を浮かせている。

以前も書いたが・・・飼い犬のリンに井戸水を与えていたら・・・嫁から何を飲ませている。止めろと言われた・・・・・
理由は・・飲料水に向かないと・・・昔・・市報に乗っていた為に成る。

止めろと言われた、時に、私は蛇口から、直接、私自身が飲んで見せたら・・・驚いた顔をして・・・呆れられた・・・・

私は生まれた時から、この井戸水を飲んで・・・大きくなった。
我村では、上水道と言われていた、水道が整ったのは、私が中学校の頃に成る。

幼い頃は、用水路で泳いでいたし、当然、水も飲みこむことが有ったが・・・今、生きている。
この様な時代で・・・・井戸水・・私のイメージだと奇麗な水と成る。
水道水は・・水にお金を払う・・高級な水と私には成る。

同じ年代の嫁も、同じ様な環境で育っている・・・・しかし、時代が進み、井戸水は飲めない、汚いというイメージが後から出て来ている事に成る。

基準の水道水・・・国が定めた基準をクリアーしている水に成る。
井戸水は、当然、クリアーできない場合が有る。

又、この基準も、方向性としては、厳しくなる方向が有る。

この厳しくなる方向の基準が、又、同然と思う人も増えている。

何度も書くが、基準を普通とすると、普通がドンドン、厳しく、狭い範囲に向かっている事に成る。

之が、国民が求めているなら・・・当然、物に対してだが・・・若し者に対してにも成れば、怖い世の中だと私は考えている。

この部分も人間の、多様化を求めていない・・・・厳しい基準をクリアーしている人だけは人とする。方向に成るし、この基準から外れているという理由で排除も可能になる世界に成る。

若し、これが、当然かすれば、人間としての基準に当てはまらない人間は????・・・

この流れが加速すれば・・・・・人のレベルでの格差が広がる事に成る。

仮に、クリアー出来ない、物も有る・・・之は廃棄に向かう。
しかし、クリアーできない物でも良いと言う人も現実には居るが・・・それ自体が非常識と言われ出す。

勿論、非常識と思われる・・可哀そうと・・・その物を取り上げ、基準内の物を提供する様な人も、優秀で一流の人が多い、日本国なら、多々居ると思うが・・・

私は、三流の為に、家庭内や地位社会程度の、範囲でしか見えないが・・・・
死に水と取った、近所の老婆の様に・・・・色んな、事を行い、教えても、無理と言う人も居る。結局は、嫌だが仕方が無いと、背負うしかない。

今は、この部分が何故か、民度が高い日本国と言われるが・・・無くなる方向に向かっている。

一流の人が、一流の物を作る・・・当然と成る・・・三流の人なら、当然、三流の物を作る・・・しかし、当然と言わない・・・除外される。

今、嫁が、買い物から帰って来た・・・・安売りで有名なスーパーからに成る。
傷物が安くなっていた等々、喜んで話している。

嫁自身は私自身に取っては、それで良いと言う、事に成る・・・・しかし、子供や犬に対しては、当てえる物の基準値が高まる方向に有る様だ・・・

この行動を見ていると、対外的思いと個人的思いには違いが有ると言う事に成る。

対外的思いとは、之が、基準に成る・・・・世間が言っている、普通という基準・・・
勿論、世間が言っている、基準に添うた事を全てできる人も居る。
しかし、出来ない人も居る。

出来ないから、不幸なのか????・・・・出来るから幸せなのか???
この価値観なら、第三者からの見え方に成る。

私達位の、年代の人なら、道に落とした、飴等も、拾っらって食べていたし、普通だった・・・・家の中で、茶碗に入れたご飯を落とした、当然、食べる・・・・

色んな、寄生虫に侵されていた人も多い・・・・

勿論、現代の衛生的、基準から言えば、ありえない行動に成るが・・・それが、普通だった。

勿論、統計定期に、幼い年代の死亡者数も、多かったと思うが・・・・子供は突然死する事が普通なので、沢山の子供を儲けていた。

今は、生まれたら、成人するまで当然、生きると成っている。
結果、子供の節句の意味も薄れているし、七五三等々も忘れ去れている。

この環境が、少子化を産む・・・過保護な環境を与えた、子供達が大人に成る事に成る。

しかし、この過保護が、彼達は普通である。

簡単に書けば、生きる為に必要な水さえ・・・ひねると飲める、程度に考えているし、大事さを意識していない。
この環境を普通と認識しているなら・・・・当然、その環境が崩壊すれば、普通で無い、非常識な世界となる。

之が解れば、前のブログにも書いたが、家毎の、普通が有るし、常識が有る。
広い方向に考えれば、村ごとの普通や常識が有る。
当然、国毎にも有ると言う事に成る。

グローバル化と言われているが・・・この違いを判った上で、どう対応していくかを問われていると私は考えている。

間違っても、この普通や常識を、相手に押し付ける・・その為に、こちら側がが正しいという論争は、意味が無いと考えている。

マスコミ等を観ると・・・この部分を、一極化、価値観の固定化方向に、向ける之が正しいと風潮している様に感じる。

之が、普通に成れば、何度も書くが、基準から、離れている人は、当然、抹殺される方向に向かう。

この価値観は・・・結果的に家族として、支え合う・・・夫婦として支え合う・・強く言ば、背負っても生き抜く・・・この部分も無くなって行く。

家族が大事だから、当然、他の家族も大事に成る。
何を得るかという価値観でなく・・・何を奉仕できるかの価値観に成る。

格差が広がる、方向の価値観が蔓延し・・・当然、弱い方が増える事に成るし、格差が多ければ、弱い側一人・強い側一人と、勝負すれば、戦う前い弱い方を潰す事も簡単に成る。
当然、弱い側は集団化する・・しかし、出来無い方向に強い側は向ける。
無間地獄の様相と言える・・・・

何故か・・・得る価値観が正しいと、言う、基本的部分が、変わらなければ、この流れは永遠に続く・・・・

日本人なら、弱い敵に塩を贈る・・・等々、配慮という、価値観が有る。
奉仕の意味を解ると思う。

美徳を尊ぶ、民族だと私は考えている。

世界の基本的価値観は、多得を求める方向に成る。

アーリア人的、価値観かも知れないが・・・この流れに、東洋も侵されている感じがする。

全てが、勝ち負けで、勝ちしか価値を認めない方向に成っている。

ブログの最初に、勝つ為でなく負けないこの価値を考えてもらいたいと思って、始めたブログでもある。

勝目的で始めて、仮に辞めたら・・・勝ち続ける事は不可能に近い為に、当然、感謝の思いより、妬みや恨みの思いが強く残る。

目的は各自いろいろだが・・・・よくよく考えた方が良いと私は考えている。

結婚も、支え合い・家庭を共に作って行く・・・共と言う事は、相手が倒れたら、当然、背負う事に成る。

この部分も、上の子供達は、少しは理解してきた。

今は、犠牲に成っていると思っているが・・・この犠牲が、当然と成り、感謝になる事を願っている。
このレベルに成れば、担い手と言われる立場に成る。

家庭を維持すると言う事は、この担い手が居なければ、当然、崩壊する・・・・担い手を増やす、これが次の目的に成る。

地域社会も同じだし、会社も同じ・国も同じだし・・・世界も同じだと私は考えている。

勝目的は、敗者を作る事に成る。



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