昨晩は・・・・11時前に、電話・・・・駅まで迎えに来て・・と・・・しかし、最終の為に、それ以降の駅には行けず・・・友達が久留米方面・・・送って行くと言っている。
四男のクラウンで来るように支持され、迎えに行く事に成った。
隣町出身の、友だが、嫁ぎ先が久留米・・・・送る事に成った。
私は、同窓会と思っていたが・・・同じ高校での仲間6人での女子会だったとの事・・・
歳相応の、現代の生き方をしている様だ・・・・
各自、子育ても終わり・・・巣立ち・・・都会等々で暮らしているとの事・・
夫婦水入らずの生活をしている様だ・・・
勿論、寂しさも有るので・・・孫の顔を求めている様だ・・・
又、現代だと思うのが、故郷の実家、跡取りが居なく、無くなったという友も居るようだ・・・
話を、していると、跡取りと言う意味も解って来る。
後継者も色々ある・・・・その中に跡取りと言う立場があるという事に成る。
外に出た、親族が集まる・又は帰って来る場所を、維持管理する立場と言う部分が有る様だ・・・
以前、書いたが・・・学友の家が、無くなった・・・友も死に父親も亡くなった・・結果、本家に成る家を、維持管理する人が居ない状況に成り、葬儀の際、親族が何処に手を合わせに行けば・・・と悔やまれていた。
私としては、現代の法律等で、嫁に出てある娘さんが居られるから、大丈夫と言ったが・・・〇〇家が違う、よそ者が続けることが出来る筈が無いと言われていたが、現実はその通りに成っている。
一族が本家に集まる・・・この部分が無く成って行く方向に成っている。
結果、苗字の意味・由来・等々、継承も出来ず・・唯の文字と成る方向に成っている。
現代も、少しは苗字の意味を理解する人も居るが・・・それを知っていて何か意味が有るか???・・・その場が亡くなっているなら、当然、意味も必要性が無くなる方向に成る。
話を聞くだけでも、現代の風潮が解る・・・・
人とは、何を求め、生きているのか????・・・・・嫁の年代の、女性の感覚も、変わって来ているように感じた・・・・人生の終盤に成る・・・色んな経験を重ねて、答えを出す、年代に成りつつある。
何が、幸せなのか????・・・之を求めて、生きてきたと思う・・・その年代・年代で考えも変わって行く・・・
孫を持つ、年代に成り、余生の時間も短さを気付けば・・・今後に残したい、価値観・考えも、当然、出て来る。
我々の年代は、過渡期に当たると考えている。
現代的、価値観で生きて来た・・・・結果、里が無くなり、近し親族の兄弟さえ、何年も会っていない・・・之が、現代の流れの様だが・・・良しと考えきれない、歳に成って来ているという事に成る。
現代の法律だが・・・兄弟の世話は、当然、親族の近い、兄妹に成るのが、法律・・・勿論、放棄も出来るが・・・この放棄を勧める事が良いとは考えないし、世間も、保護政策の厳密化を言っている。
しかし、人とは不思議である。公務委員を軽蔑する方向性が有る中で、子供の就職先は公務委員を求める、矛盾が有る。
それと、同じで、親族の問題は、背負わない・・・しかし、保護政策の、費用は無駄だと言っている事に成る。
言葉の意味、得意、括り・・・親族・家族・一族・地域・社会・等々・・・この意味も、自分勝手な二つのスタンスを取る、人も増えている。
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