2019年6月30日日曜日

括り・単位での責任と義務

先のブログに少し書いたが、括り・単位での責任と義務の考え方が有る。
現代は、権利の主張が多いが、本来は、責任と義務を果たすから、その対価としての権利と私は考えている。

家族と言う括りにも当然、責任と義務が有る。本来、全員がその思いが有る事が求められるが・・・若し、思いの無い人が多い、家族を維持・管理すると成れば、その思いの有る人は、多くの責任と義務を背負う事に成る。

小さな集団・括りでの延長線上が、会社や社会・国だと私は考えている。

又、家族や友、知合い、等々、関係性を言うが、この関係製でも当然、責任と義務が発生している。

責任と義務を、背負う事と置き換えれば・・・家族を背負うのは??自分と言う感覚が有るから、家族と言っている事に成る。

同じ、事で、友も一緒に成る。友と言っている事は、程度の差は有っても、背負う覚悟が有るからに成る。

この差が、友の差、親友と言ったりしている。

私は、友が少ないと言っている理由はその覚悟が少ないし、力が無い為に成る。
知り合いは多々あるが・・・背負う覚悟の度合いが大きく変わる。

最近の情報等を見れば、背負く覚悟が多々ある、その事は自分自身に力が有る等々思える、人の情報が多々ある。

勿論、基本に成る価値観が、友の考え方で、利用・自分の思う様に、この方向性の人も居ると覆うが・・・本来は、責任と義務が有るという事を理解していれば、自分の分以上の友を求める事は少ないと私は考えている。

その為に、私は、知り合いは多い方が良いと思う・・・しかし、友と言える人は分相応だと考えている。

しかし、最近の価値観は、上に書いたように、自分が楽で、責任や義務を減らす之が、力、立場が高いと考える、風潮も有る。

例として、会社を上げると、社員とパート・・・当然、責任と義務の度合いが違う。
社員も役職や立場等でも変わる部分に成る。
当然、高い立場が、責任と義務が高まる方向に成るが、現実は、一番、大変で大切なお金を稼ぐ部分を、パートに押し付ける傾向も有る。
当然、パートは、その覚悟が無いし、責任や義務感も少ない・・・結果、キツイ。大変と、辞めて行く事に成る。

仮に、パートの立場で、責任感や義務感が強い人が、行えば、当然、会社はよい人材と思っているが、結果的に対価は????・・・このバランスが悪ければ、当然、長続きはしないと成る。

振舞いに対しての対価がバランスしている、プラス・マイナス0状態、が一番良いが・・・之を良いと感じる人も居ない。

特に、責任感や義務感の強い人は、対価を求めない人が多い。この部分を利用する組織も現実には存在するし、この事は、人間関係でもよく有る事に成る。

この対価を求めない、振舞いを、人々は馬鹿だと言う傾向も有るので、結果的に背負う人の創出を社会は行っていない事に成るし、
振舞い以上の対価を得る、之が、利口な人の振舞いだと成れば、当然、社会でも立場高い、会社で立場が高い之が意味する事は、利口な人、振舞い以上に対価を得ている人に成る。
この様な人を、支える為には、振舞い以下の対価しか得ない、人を創り出す事に成る。
この部分を、会社の場合、パートやアルバイトに求める傾向が有るなら、本末転倒な会社・組織運営に成る。


勿論、現代は、この流れが、普通に成っている感じもするが、先に書いた、振舞い以下の対価の人を育てていない・・・結果、何時までも、続くとは限らない事に成る。

色んな人が居る。之を前提に考えれば、当然、下働きする人も必要に成る。
之を、奴隷の仕事、と、考え、進めば、下働きを率先して行う人も居なくなるし、
勝者の価値観で、弱いから、奴隷的で有ると、考える方向に成る。

分相応、立場が有るし、出来る部分が有る。
この部分は、各自で違う・・・この違いを尊重し合う、世界に進める事が大事だと思う。

原状のままなら、良い仕事・悪い仕事等々の、二極化に向かうし、その判断価値観も一極化に向かう。



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