肩が、当然、痛むのは解るが・・・・・医師からは重い物を持つなと言われていたが、その言いつけも聞かずに、荒治療を行っている、
持つな、手に伸びる方が悪いと考えていたが、最近手を机等に付いて身体を持ちあげる、腕が縮む方向で、傷みと違和感が有る。
以前も有ったのかも知れないが、重い物を持つ、荒治療で、腕が伸びる方向での怖さや傷みが減った分、逆方向の負荷で、傷みを強く感じて居るのかも知れない。
祖父が子供の頃、痛いのも通り越せば、楽に成ると言っていた。
痛さの限界は何処に有るか???と試したが・・・最後は、口から「ワー」等々の叫びをあげて動かす為に、傷みに意識が集中しないので、解り難い・・・
この部分も私が鈍感なのかもしれないが・・・・
しかし、父が帰ってくれば、嫁が市報等に書いて有ったがと「精神疾患」が有る人が、居る場合は行政・警察に方向句と言う、文面が有ったとの事・・・
行政・警察への届け入れ、之で、何をしてくれるのか????・・・結局はマスコミ等々が事件等に成れば、行政等の事が問題として上げられるのを、阻止する為位の為だと考えている。
高齢者の車の運転も・・行政や警察は確りしていると言う事を示す為に、相談窓口が多々ある・・・
何故相談するか・・・理由は簡単、運転を辞めろ、免許を返せと、家族や回りが心配して言うが、聞く耳を持たないからに成る。
しかし、警察も行政も、人権が有るので、本人の意思で変換してもらう、この方向にしてくださいと言う、之が相談窓口?????・・・・と私は何の為と思う・・・・
特に、親族特に、子供が居れば、子供さんが親を説得する、之が当然でしょと言う感じ・・・又、出来る事が前提の様に言う・・・・
公僕なので、相談が終わって、率直な質問として、貴方自身の親を、貴方が説得して、話を聞いてくれる親ですか????と質問すると・・・答えは無理ですと言われる。
結局、無理と解っていても、システムに従った、対処しかできないと言う事に成る。
行政や警察は、有るパターンが基準で動いている。それ以外のパータンが有るし、之が現実だが、其れが無いと言う、話に成る。
肩が傷み、後遺症障害を医師が認めた、私が、警察に行き・・・精神疾患の有る、父が帰って来るから宜しくと、言って、何をしてくれるか????
当然、私も付け加えて・・・去年の事故で、身体が本調子で無い・・・父を力で抑える、この自信も無い・・・・又、私の妹は、正常で全く問題が無いと言っている。
しかし、過去、何回か、警察のお世話に成り、裁判所を通して措置入院をしている。
一親等に当たる、立場の二人が、違う見解だが・・・・父も妹の問題ない、正常と言う言葉を信じている。私はどうすれば????と質問すれば、どう返答が有るか・・・・・予想は付く・・・・
ご立派な御支族の貴方が居られて、大丈夫ですよ・・・・この様な返答しか、今まで受けた事がない、
よく保護者の立場だから、父や子供を、病院に入れる事が出来ると思っている人の居る。しかし、現実には本人の意思に成る。
本人が治療を受けると言う意思を伝えなければ、病院は受け付けない。
之が本来の姿らしい・・・人権と言う部分に成るとの事・・・・
結局、自分が異常が有ると思っているなら、人からの指摘も解る筈、解らないと言う事は、自分は正常だと思っている。
この様な人が、自分から病気ですと言う人は私は居ないと思う・・・
しかし、行政や警察は、本人の届け入れと言う・・・・
要は、過去の裁判事例を見れば、何かの問題を起こした、この問題を起こす事を予想できなかったと証明できる、氏族は、罪を問われない・・・又、距離も有る様だ、距離が遠ければ尚更、認められ易い。
問題、之を気付いていた人、氏族が責任を背負う事に成る。
之を、考えれば、報告を警察にする・行政にする・・・と言う事は、家族が、問題を知って、それで、報告した、勿論、報告したら、警察・行政からのアドバイス・指示が有る。
之が、説得して、話して、実の親子ですから、親も解ってくれますよ・・・要は貴方の努力次第です。で話が終わる。
その後、事件に成る・・・・行政や警察は勿論、報告を受けて、その対処方法も家族に教え、其れを行って頂くなら、問題は出なかったが、努力が足らなかったと成る。
勿論、裁判等では、問題を知っていたのに子供として努力をしたか???したと言うなら問題は出なかった。
子の論調で攻められる。
何度が書いているが、警察は、問題が発生するこの部分を気にしていない。要は、誰が尻を拭くか、この部分の確保を保している。
問題が有り、検挙しても、結局は最後は、釈放に成る。その時、誰が、来るかこの部分が大事、この部分が無ければ、誰が最後を看るのかに成る。
戦争も始める事は簡単だが、大事なのは、辞めるこの部分まで考えているかに成るし・・・・
同じ事で、検挙したは良いが、裁判所から釈放命令が出れば、当然、その指定された日時に釈放する、之が警察の責任に成る。この責任を速く処理したい、之が、警察だし、一般も同じだと思う。
その為に、その時間に貰い受けに来る、身元引受人が居る。
居なければ、警察に責任が残り続ける。
要は、何度も書いているが、責任から逃げようとする、価値観が蔓延している。
行政も警察も同じ、簡単な理由、民衆全てがこの価値観方向に向かっているからに成る。
この様な状況なら、親が痴呆等に成った・・・すぐに逃げる段取りをする、勿論、遠くに・・・速い方が良い、世間に、痴呆と解らないうちに、遠くへ逃げる。
兄弟で、逃げる、距離を競う方向に成る。兄が大阪なら、弟は東京・・・等々に成って行く・・・
之も庶民の価値観の多い、方向が正しいなら、この方向に成らざるおえない。
そして、親はと尋ねられたら、立派で、何も間違いを起こさない、親です、又、私達は、生活に追われ、金欠で、中々実家には行く事が出来ないし、親がその事を悟り、直ぐにお金をくれるので、申し訳ないと言う部分も有り、長い年数、親とは有っていませんと、日頃から言っていた方が、自己防衛に成る。
今の社会、システムで真面目に生きる事が難しく成っていると言う事に成る。
このシステムを作ったのも民主主義、国民に成る。
現実に、行政や警察に相談した人は解る、新味に成る、死語に成る・・・・事務的に処理されるだけ・・・唯、帳面には確りと、この件で来られ、問題の処理を考えて居られるので、その対処方法をアドバイスしたと成っている。
結局、私が警察や行政と、喧嘩すると言うのは、この思いでしないと、動かない、新味に成らない之で本当に、公僕と言えるかとも思う・・・
勿論、政治家の問題も同じ、公僕なら何が大事かは解っている筈。
私も三流だが、父として、息子として、一家の柱として、何が大事かを、学ぼうと努力している。
無知だから知らないし、知らないから、教えてと言っても誰も教えない、結果、色んな経験をするしかないと考えている。
何度か書いているが、仕事と私事・・・同じ「しごと」と言うが・・・現代人のしごとは私事になっている。
仕える・・・・本来、この意味は、主人に仕えるや、神に仕える等々に使う文字だが・・・・
私は、他人と言う意味だと考えている。自分以外の事、之が仕事だと考えている。
糞をしたり、飯を食ったり、テレビを見たり、本を読んだり、スポーツをしたり、遊んだり、全て私事・・・・この部分が良いか悪いかは、第三者に全く関係ない、この部分で自慢しても関係ないと言う事、意味だ有るなら、羨ましいと言う思いと、妬みを他人に与える事に成る。
当然、学んだ事を他者に利用すれば、又意味も変わる。
私が考えている本来の仕事を、殆どの人がしているなら、当然世の中は良く成る筈。
だから、仕事をする、凄い事だし褒められる事に成る。
しかし、之が私事なら、誰も関係ないで、褒める思いも出ない筈。
何故、仕事と言う単語で、凄いや褒めなければと成るか、日本人の命の中に仕事の意味を知っているからだと私は考えている。
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