2018年1月10日水曜日

二ヶ月ぶりの診断・・・・・

動脈乖離の疑いが有ると・・・・経過を診断の為に・・・

今日、病院い伺った・・・・・

症状は改善しているのと事で、人安心・・・・又、今回の事故で、血液サラサラの薬を、止めて・・・・内出血を直そうと、自己流で行っていた事を説明・・・・

薬を飲まず、この状態なら、投薬も要らないようだと言う事で・・・・今後は、MRIでの診断を三月後半に予定・・・・・

良い方向なので、少しは安心できた。

又、医師の違いで・・・何故か安心感が違う・・・・内容は同じと思うが・・・その人の人間性が見えると何故か安心感が出て来る。

世の中は、ドンドン、役所仕事に近付いている。

特に、医療機関がこの方向性が強い感じがする。

システムの流れが、流通業種に似ている・・・・・・・受付を通り、ベルトコンベアーの上を通過、バーコードで、行く先を分別・・・・・最終到着地が・・・医師と面談に成るが・・・ハンコを打つような処理をする人も居るし・・・労う人も居る。

勿論、その後、又、出発の受付に戻る方向に成るが・・・・・物流の物の様に、人が成っている。

箱に梱包され、身動きを出来ない物として、待機・・・・・人が、病・怪我をして、伺っている、人夫々、痛み、辛さも違うが、同じ扱い・・・・

平等・・・等々の、耳障りの良い、言葉は・・・私は昔から好きで無い・・・・結論を書けば、一極化に向ける、扇動者が使う単語と考えている。


同じ病気でも、各自で捉え方も違う・・・又、痛みの感じ方も違う・・・人を、機械のサービスマニアルみたいにトラブルシューティング処理する、現代の医師はこの方向性が強い・・・

勿論、人の多様性が有るので、マニアルには、標準の規格を保った状態と言う、前提が有ると思うが、若し、この前提に入っていない、患者は・・・・結局、医師が嫌がる患者と言う事になる。

平等を言うなら、一般的や普通ならと言う、単語を使えない筈だが・・・この単語をよく使う人に平等と言う単語まで入れてくる。

平等を、自分の都合で決め付ける・・・医療機関なら、患者の平等を謳っているが、結果的に患者は物に成っていると言うこと・・・・医療機関に都合の良い、物・商品とする為に、平等と言う単語を使っている。


今日は、話の解る、医師だったので・・・少し私の思いを、話した・・・

病院い伺う・・・病気や怪我を治したいという思いが有るから伺う・・・・何故思うのか???・・・心に不安や怖さが有る為・・・・・

しかし、現代の病院は、伺っても・・・・心の不安が、増える方向が多い・・・・心の安穏を願って、病院に行き、何故、逆に成るのか?????

今回、事故の怪我で、私は、精神内科の治療を受けようかとも思うほど・・・・頭が混乱している。

又、全体に頭を下げない、医師が多いし・・・・訴訟問題を考えての行動とは思うが、この部分が役所的考えに成っている。


役人も医師も、人である・・・間違いも起こすし、失敗もする・・・・之を一々、言いがかりをつけて、対価を貰う、この様な、人が増えているという事だが・・・・・

人をどう考えているかの、違いだと思う・・・・私は、三流の為に、失敗も間違いも多々起す。この部分に対して、対価を請求されれば、生きていけない・・・・

社会には、許容力が有るから、私みたいな人間も生きていける・・・

しかし、この立場が、規格外という扱い方が、年々キツク成っている感じが私はします。

良い扱いを受けたければ、それだけの対価を出せば多々有るが・・・・・普通以外の者は???

結局は、以前も書いているが、仕事に対しての意識・・・・・

お金を求める、之なら、私利私欲の私事・・・・・・人を喜ばせ安心させる、心の安穏に努力する、仕事・・・・

人の心の交流が・・・結果的に心の安穏を作っているのだが・・・この心を見せない、この方向で、事を進めれば、同じ機能でも、人により感じ方も違う・・・この部分も認めなく成る。

叱咤する為に、「馬鹿ヤロウ・・ガンバレ」・・・この言葉が恐喝に成る・・・・叱咤と恐喝、大きく意味が違う・・・・

勿論、捉え方も色々だと思うが・・・・昨日もブログに書いているが、何故、狭くなる方向を目指すのか?????

マスメディア・・・情報機関も問題なのか・・・社会が何故同じ方向に向うのか????

貧しくても、広い台地が私は良いと考えている。









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