今朝から・・・納骨堂責任者が来訪・・・・
入会者が一件増えたという事で・・・名簿等の作成・・・・
地元を出られ・・・・外で生活されていたが、妻が亡くなり・・・お墓を急に考えられるようになられた様だ・・・世帯主は私より、可也若い・・・・
妻の親族等の目も有り・・・遺骨をどう処理するか・・・之も問題になる・・・以前は親達が、一家を持てば、墓を買えと、口を酸っぱく言っていた時代も有るが・・・
現代は、この様な親も少ないし、社会でも教える人も、少なく成っている・・・
結果、今回は妻が病・・・・闘病・看病を続け、亡くなる・・・・若い夫にしては大変な事だったと思うし、若し、子供さんが居られたら、子育てで、頭はパニック状態で・・・死んだ後のこと等、考える余裕も無い・・・・
頭が混乱状態で、葬儀を済ませ・・・・一息・・・この時に、納骨をどするかが、親族間から言われるようになる・・・・之は当然だが・・・・当事者は習ってもいないし、教えても貰っていない事を急に言われる事になる・・・
勿論、経済力が高く・・・直ぐにお金で処理が出来る立場は、簡単に処理が出来る・・・・この様な一流の人が現代では多いので、話す人も少ないし、教える人も減っていると思う・・・
しかし、我が家の子供達は、このレベルでは無い・・・その為に、この様な事が、勉強に成る・・・
家を建てている、次男にも、この様な事を話して教えている・・・若し家族が亡くなったら、遺骨はどう処理するか・・・次男が一家の家長に成る為に、教えるべきだと私は考えている・・・
しかし、墓が有れば、誰かが管理する、之が必要に成る・・・・
之を含みで、墓守という・・・・
墓守をしようとしない、私の子供達・・・・しかし、自分の家族を持ち、その家族が亡くなった場合・・・遺骨に対しての思いが無くても・・・その処理の仕方を、親族が注視する事に対して・・・どう処理するかに成る・・・
私は男に成る・・・もし、妻が亡くなり、遺骨を、粗末にしていたら・・・・妻の里・親族はどう考えるか、結局、縁を切る行動をしていると取られる可能性が有る・・・・
現代の親の、価値観を子供に教えている・・・・しかし、その親の価値観も、経験不足、勉強不足・・この状態で子供を教育している事に成る・・・・その為に、本来は、高齢者の知恵等々を、役に立たせる之が、昔に成るが・・・・この部分が無くなり、親が自分は正しい、全て知っていると勘違い状態で子育てをしている事に成る・・・・
イメージをする・・・・若し、今は幼い子供だが、将来、結婚・・・・その娘が、若くして亡くなる・・・その遺骨を、夫が粗末に扱う、之を見て、何も感じなければ、良いが・・・若し、怒りが出るなら、今の内に教える事に成るし、今の自分は???と考える事に成る・・・・
本来、教育とは、社会の営みの形を多々見て、学ぶ事・・・・色んな生き方が有るし、各家庭の営みが有る・・・・その部分に注視し、勉強する事だと私は考えている・・・
勿論、私も欲が有り、直ぐに、興味を引く方向性が有る、優雅に暮らす、華麗に暮らす、之に勿論、憧れる・・・・しかし、自分の、生きる場所は、この場所として有る・・・
空の上の、生活を望むが・・・・現実の地の上での生活が私の生きる場所になる・・・
学び、身に付ける部分は、どの部分かは自ずと解る・・・地の上で生きる素手に成る・・・・・
しかし、現代は、私は空の上での生き方を、求め、勉強していると言う表現に対して、凄いと感じる人が何故か多い・・・何故かは、凄いレベルの人と勘違いをしている・・・・
この部分の、感じ方、之が価値感、幼い頃からの教育に成る・・・・・
しかし、脱会者が昨年は3件発生・・・・今年は入会者が1件・・・この事に対して色々、学ぶ事が有る・・・
無知な私には、無知を少しでも埋める経験に成っている・・・この努力を続ける、之が大事だと考えている・・・・・「馬鹿」からの脱却に成る・・・・
「馬鹿」の意味は、私の見解だと、逆かも知れないが、鹿を見て、馬だと教わって、疑問も持たず、馬だと答える、之を馬鹿と言う
馬なら、乗馬できる・・・之を鹿で、試みれば、怪我をし、若しかすると死ぬ危険性も有るが・・・
無知だから起きる事に成る・・・その為に、無知は多様な方向性から物事を判断する事が大事になるし、無知の何故、この疑問を何時も持つ事に成る・・・・
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