2016年9月7日水曜日

無知に感謝・・・・・

今日・・・父の件で妹から電話・・・・

エリートと話していると頭が痛くなる・・・・・・・

私は、無知の為に、経験や今まで得た知識を総動員して考えようと努力する・・・・

其れを元に、言葉に変える・・・・・・・・・しかし、理解してくれない・・・

妹が望む、言葉以外は受け付けない様だ・・・・・・

その為に、妹が、物事で如何思うかを尋ねると・・・・・一般的な感情が出て来る、この部分は解るが、この後が、私と違う・・・・

その感情的部分は誰でも起きる事と言い張っているが、その現状を私の嫁に当てはめ様とはしない・・・・・同じ人間、同じ感情が嫁にも有る筈だが、それを認めようとしない・・・


結局、エリートと言う人は、自分勝手すぎるし、自分の感情が悪くなる事を非常に、恐れているし、その対処が、又直接的行動に出る人が多い様だ・・・・

馬鹿で無知な私は、力も無い・・・・感情を害しても、直接的行動と取れば、叩かれる事もよく理解している・・・その為に、色々、勉強もする・・・・結果、感謝に繋がるが・・・・

人は変化し続ける・・・・・しかし、その変化の中で、一番、良かった時の事を、何時までも覚えているし、その状態が普通と考えてしまう方向性が有る様だ・・・


人生の中で一番良かった時・・・仮に、18歳の時なら、その時の価値感を永遠に求め追い続けているし、その価値感のまま止まってしまっている人も居る・・・・

18歳の価値感・・・・・結局、幼いと成る・・・・・


人は変化する・・・・その時々で良い時・悪い時が出て来るのは当然である・・・・それならその時々で、価値感を学び続ければ、人として器の大きい人に成ると思うが・・・・

要は、今現状が当然と思えれば、良いことに成る・・・・・・今が当然と成れば、不幸とは思わなくなる、唯、大事な部分は、今より少しでもという向上心を持っているかに成る・・・・

人生が右肩上がりで上がり続ける人生なら、何も悩む事は無いと思うが・・・・

現実はこの様な状態にならない・・・・・・

極端に書けば、一瞬・一瞬、変化を続けている・・・・・変化の願望も有るが、その通りに成る事も不可能に近い

結局、エリートに成れば、そのレベルの維持の為には手段を選ばない人が多い事に成る・・・・この事は、成長は止まる方向だと私は考えている・・・


無知で、レベルが低い人間は、その場に留まる等、頑張らないと、出来ないレベル・・・・常時、学び・勉強を続けることになる・・・・・之こそ、大事な部分だと私は考えている・・・

面白いと何時も思う・・・・・・何故その居場所に拘り続けて固執するのか・・・・その場が変化が無い本人にとってはユートピアかもしれないが・・・・・面白みは無いと思う・・・・

妹に、父と24時間一緒に居たら、と、疑問を投げると、気が狂いそうに成ると言う・・・しかし、嫁や私の場合は、常時一緒に居ても、問題が無いと考えている・・・・

この考え方の、矛盾に気付こうともしない・・・・・結局は、父のレベルに比べ、高いレベルに居るので、話が噛合わず、問題に成る・・・・・之が、私や嫁の様にレベルが低ければ、同類で良いという考えになる・・・・

レベルの高い人は、何故かレベルを落とす事が出来ない・・・・こんな、不思議が現象が起きている・・・・レベルが低ければ、高い方に合わせる事は不可能だが・・・・何故か、レベルの低い方に、諸問題を押し付けてくる・・・・

この様な価値感・・・・私が一番、性格的に嫌っている価値感・・・・・手を貸す余力が有る立場が、知らん顔・・・・・余力が無い立場が、必死に背負い続けている・・・・

何をしても、結果として、感謝の念も無い人・・・・当前と思っている・・・・逆に、少しでも居心地が悪いと、キレル・・・・・・挨拶もしなくなる・・・・

現代のエリート像が変化している可能性も有る・・・・・

その点、馬鹿で無知で、平民以下の立場は、何事にも感謝できる・・・・・・考え様では、本当の幸がこの部分に有るのかもしれない・・・・







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