嫁が、脳神経外科へ・・・・・・MLIの検査結果を持って・・・・診察に向った・・・
心配が募るが・・・・私には、何も出来ない・・・・・
嫁も、体の限界点に来ているのかも・・・・・余りにも色々な事をしてきた・・・・我家の途方も無い、借金返しから、我家の生活が嫁の場合始まっている・・・・
その中で、子育て・・・・・凄いパワーが要ると思う・・・・私は、唯、外で働く・働く・・・・之だけの人間だったが・・・・少しでも多く、家にお金を持って帰る、之が仕事と考えていた・・・その為に、家は単に寝るだけの場所だった・・・・
近所の事や、家の事は、母が全てを賄っていたし・・・その中で、嫁も必死に仕事をして、家にお金を入れていた・・・・・
今考えると、不思議な事と思うが・・・・その時は、子供・嫁の立場として当然の振る舞いと思っていた・・・・
借金の目処が付いてきたので、嫁は仕事を辞めたが・・・・家の仕事は増えるし、子育ても大変な時期に成るし、母の大病の介護も始まる・・・・・
ブログに書いているが・・・・母が亡くなった後は、父に振り回されだす・・・・・ここ二年、妹が父を施設に入れて、看ていてくれているので・・・・父の事は、楽になったが・・・・
ブログに書いている様に、何かが肩から取れると・・・直に、何かが圧し掛かってくる・・・・
背負い続ける、生き方の人間は、永久に、背負う物が出て来るという事だと思う・・・・
その中でも、笑顔を絶やさず・・・振舞っていた嫁・・・・家が明るくなる、太陽の様な存在だった嫁が、体調を壊している・・・・
嫁と、何時も話すことが、我が子も含め・・・・・何故、背負う事をよい事と思わないのか???・・・・・人としての、責任や義務が有る・・・・・其れを軽々、背負えるなら、格好よくスキップも出来る・・・・
軽々背負える、体力・忍耐力を付ける事を学べば良いと思うが、逆に、如何、背負わないで済むかの、方向ばかりを勉強している感じがする・・・・
同じ、格好よくスキップが出来ても、内容が違うが、その部分を見ようとしない・・・・
結果、色んな部分を放棄して、色んな所に落としていく人が増える・・・・・その様な人の場合、一種のゴミだと思うが、捨て続けている・・・・・
そのゴミを片付ける人も必要になる・・・・この部分もバランスに成るが・・・片付ける立場の人が非常に少なくなって来ている・・・・その為に、片付ける立場の人も限界に向っている・・・
昔は、この部分もバランスが取れていたから、若いうちの苦労は、将来、人から助けて貰えると言われていたが・・・・この言葉も死語に成ってきている・・・
他人様からの頼まれももの増え続けている・・・・勿論、その都度、限界だと考えるが、何故か引き受ける・・・・この流れが何時まで続くか・・・・誰か後継の者が出て来るのを待つか、又は創るか・・・・・・難しい時代で有る・・・・
今の時代、即席で形を求め過ぎる・・・・・本来、形は努力の結果・・・・・この努力を余りにも軽視している・・・・・
積み上げの無い、確りした基礎が無いのに、立派な形が聳え立つ摩天楼が幾つも出て来ている・・・其れを目標にする人も出て来るが、近付くにつれて、矛盾を気付きだす・・・
気付きだす人は、未だ良い・・・・・気付いても気付かない振りをして、妄信方向に進む人さえ増えだす・・・・・之が地獄図の様相だと私は考えている・・・・
日本国は、未だ、中流意識が強く残っているし、ギリギリ生活が出来る状態だが、之がもっと厳しい時代に成れば、弱い方向の人は大変な状況に成ると思う・・・・
何時、地獄の様相と気づくかに成るが・・・・本来、良い生活をしていても、地獄の命が人には有る・・・・格好や形でない・・・心の中に人を蹴落としても自分だけはという部分が必ず有る、余裕が有る時は、表に出ないだけ・・・・・この余裕という部分を如何広げるかが、勉強・鍛錬だと考えている・・・・余裕が人で違う・・・例として10万で生活できる人、50万で生活が出来る人、人の考え方で違う部分に成るが、10万で生活している人から見れば、50万で生活している人は余裕が有ると思うが、現実は違う・・・どちらもギリギリの状態の場合が多い・・・所得が1割減れば、必ず困るはず・・・・・
昔ブログに書いているが、ブランド品を身に付け、涼しい顔をしているが、視野を広げて全体像を見ると、地獄図の様相と書いた記憶が有るが・・・・小さな視野だと、この様相が見え難い、回りには格好よくブランド品を身に付け涼しい顔をしている人ばかりなら、天国と思っているが、現実は地獄の中の一部に成る・・・・・
少し情報が有れば、今度は、価値感の一極方向に向って、囲みこみに成る・・・之がユートピア思想・・・一部の選ばれた人が、同じ価値感で集まり、天国の様な世界を作る、それ以外の事を考えていないし、無視する方向・・・結局、価値感の壁を高く積み上げる作業になる・・・之が一神教的、価値感に成る・・・・正と邪をハッキリと決め、それを形に偶像化する、邪を滅ぼすと成る価値感に成る・・・・
日本国の宗教観ではこの方向に成らないと思うが、この部分も現実は解らない・・・・
人は、背負って行く、義務が本来有る・・・・その為に足腰を鍛える事に成る・・・・
之が、母が言っていた、守に繋がっていると思う・・・・・色んな守が義務として有るし、責任が有る・・・・・最後に忘れがちな、墓守が有ると・・・・・
結局、楽しいと思うことをしても、一過性で、一瞬で終る・・・その後には、空しい心が有るだけ・・・・・之は何故か、先に書いた人としての責任を放棄しているから・・・・
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