昨晩遅く・・通帳等を管理している嫁から、入金の状況等を書き、それをスマホでカメラで撮り、写真をラインで送ってきた。
有り難い・・・此で入金の入力が出来る・・・今朝、その作業を終えて・・請求書の発行・・・画像形式で保存し・・・それをメールに添付・・・次男の若嫁に依頼して、印刷して貰う段取りになっている。
有り難い・・家族が私の手伝いをしてくれている。何もして上げる事が出来ない状態に成っているが、手を差し伸べてくれている。感謝だと思う。
入院で一番、気になっていた、月末・・・請求書等の発行、月末の締め作業・・・嫁が無理なので、私が行っているが、私もお金の管理は行っていないので、如何しても嫁への確認が必要に成る。
嫁も面倒くさいように感じているが仕方が無い、私には解らない部分、聞くしか方法が無いし、無理矢理に彼女の権限の範囲に入ることは出来ない。
何時まで経っても、お小遣いを頂ける状態で生きている。何度が書いているが、一度は「俺が稼いだ金!!!・・どう使おうが俺の勝手」と言いたいが、今も考えようでは、私が委任している状態と同じ・・・私の勝手になる。
特に私のように鬼畜の命が強いと、時度場合いで己の都合が良い方が正しいと思い込む、勿論、鬼畜の価値観で・・・結果、己の思い通りに行っているのだが、問題が起きると、その責任者に全てを押しつける。この様なタイプなので、リーダーに向かないと思っている。
責任者は責務を負う立場かも知れないが、トカゲの尻尾切りの立場で無いしかし、その様な捉えている、独裁者的価値観が私に有るから、自称、差別主義者・変わり者・風見鶏・偏屈者等々、多くの表現を己にしている。
この様な価値観の怖いのが、人生という流れのとらえ方、流れに対してどう生きているか???それが基本的価値観に成る。
速い流れの部分も有るし、荒れている流れも有る・・・何処を選び、又その中でどう泳ぐが、流されるのか???等々、価値観で変わってくる。
しかし、最終的に、死と言う現実が有る。流れの最後は死・・・・この死をどう感じているのが、無限の滝壺に落ちていくと捉えている人も居るし、逆に、ヤット、柵から解放され、天に舞い上がると思っている人も居る。
私は、鬼畜の命が強いから、如何しても己は悪行を生きている間には多くしていると思うので、落ちていくイメージが強い・・・結果、死にたくない・死は不幸だと捉え出す。
しかし、仏法の世界では、死は新たの命への入り口的捉え方をしている。
要は、死んだ瞬間のレベル・価値観等々が、次に生まれてくるときに大きく関係すると言うこと、簡単に書けば、戦争を好むタイプは、戦争の環境の中に生まれてくると言うこと・・・
己が何を選ぶかは自由、回りが悪いと思って、回りに全責任有ると言う価値観で死んでいけば、当然、次は責務を放棄した社会の中に生まれてくる。
大事なのは、少しでも、目の前、今直ぐのと言う、簡単な理屈で固めてしまうと、絶対に幸福にはならないと言う事になる。
世の中、色んな道が有る・・・どれを選ぶかは各自の勝手、勿論、その人の価値観や前世から宿業等が重なり、道が現れてくる。
そっちの水は甘いぞ・・と誘われる、虫の蛍なのか????・・・己は何者か???確り考える事が大事だと思います。
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