今日も、病歴・就労申立書等々の記入を行っている。
難しいのが書き方に成る。
私自身の捉え方で変わる部分だし、嫁はそれを何時も指摘している。
物事に対して出来る・・・この様な部分が書類に多々有る。出来るか???出来ないか???介助・介護が必要か等々に成る。
私は何度が書いているが、時間を与えられれば、今出来る事を使って、答えを出そうと努力する。当然、健常者に比べれば多くの時間を必要とするが、出来ないわけでも無いが、嫁に言わせると、その様な捉え方だと全て出来るになると成れば、何の補助も受けられないという・・・介護医療もその流れで、嫁が良い通りに書いたら、要介護、一級という認定に成った。
今回も、同じ事らしいが・・・私は釈然としない・・・・
仮に、この作業が、どの位の時間で出来るかと書いてあれば、1時間と書ける、健常者なら1分程度の作業だが、出来ないことで無い・・・・ウサギとカメの逸話と同じで・・・亀は、目標に向かって、進んでいるが、当然、時間が必要という事・・・ウサギは直ぐに目的地に付ける能力が有るが、それを行使できるかは別問題という事に成る。
私は、この捉え方が、全ての幸福・不幸を創りだしていると思っている。
何度も書くように、宿命や宿業・等々の運命も、己が選んだ道・・・此を受入れ背負ってどう生きるかが、その人の人税だと私は考えている。
しかし、現代は、この部分まで差別等々言われる。結果、スタートラインが全ての人で一緒という考え、違う事が、駄目・・・当然、遅れや劣りが有れば、不幸だし、問題だし、差別と言う考えになるし、それが被害者意識を創って行くと考えています。
産まれた瞬間から被害者と捉え・・・その学ぶのが恨み・妬み・等々の倍返し・・・・当然、争いが絶えなくなるし、それが集団化し、国という括りになれば、当然、国同士の戦争も絶えないとなる。
結果、恩等々は、感じない・・・恨み・妬み・等々の苦しみに敏感になり・・・それを感じたら倍返し・・・・悲しい生き方だと私は考えます。
それより、些細な施しに恩を感じ、その恩に感謝し、それを倍返し、此が幸福の連鎖だと私は、考えていますし、それを実践し続けてきた人生でも有る。
結果、今で有る。
両親の間に生まれ、その親たちと看取った・・・当然、親が背負った多田の責務も、手伝い処理したつもである。
その結果が、私は我家の歴史を見ると、男・長男等々は全て大病や死等々で若い時・幼い時にこの世を去るという家系になる。
この家系の宿業・・・・父も五男か???で家督を継いでいる。継ぐべき人で無いから、家の歴史も知らない・・・要は長い歴史・経験等々を知らない人が家督を継ぐという流れが我家に有る。
しかし、私は長男としてこの歳まで生きられた・・・何度も書いているが、幼い時・若い時、等々に、大病や大事故も何度か経験しているが、生き残っている。要は家の宿命・宿業を我が代で返る・・・此が私の使命だと思って生きてきた。
長男も大事故で死にかけたが生きている。長男の長男は、18歳に成るが、大病も大事故も今の処、起きていない・・・
次男・三男達の長男達も、無事に過している、この状態にする。此が私の使命で有ると思って生きている。
家と言う、部分の責務を背負い・・・それを全うできてから、己の事だと私は思っているので、中々、己の所には成らないで居る。
捉え方で、将来が広がるか、破滅かが決まると私は考えています。
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