今日は、嫁は仕事が休み、久しぶりに彼女の手料理が食べられる。
私は、酒のあてを食べならが、嫁の料理を楽しもうと考えている。
三流の私は、大きな集団では異端児に成る・・・せめて家族位の集団には溶け込みたいと考えているが、現実は、当然、異端児・・・居ない方が良いと言うあしらいを受けるが・・・それでも、嫁が作った、料理が食べられる・・之だけでも、幸せだと思うし、当然、感謝と成る。
何度も書いているが、異端児の私、小中学の同窓会でも、異端児が来たと、言われる・・・当然、私も異端児として来たと、言うしかない状況に成る。
しかし、それでも、幸せだが、感謝と思っている。
理由は、これも何度も書いているが、同窓生の中にも、反社会的集団に属している人が居る。私は、同じ同窓生と見ているし、その様に振舞っている。
その友が、お前は昔から異端児、嫌われている・・・・しかし、同窓会等に呼ばれ、ギリギリ集合写真にも参加できる。
しかし、彼たは、呼ばれもしないし、居ない者と扱われていると言う・・・
若い時、仲間と思っていた、友から憧れられる立場に成りたいと、目指した結果が今・・・・それなのに、何故か、居なかった事にされている・・・と・・・言う・・・
不思議が、人が憧れる方向に、先頭を切って走っていた立場が、存在さえ認められない立場に成った。
その逆の、この世の中に一番存在してもらうと困る、私が、何故か、認められている事に、彼達は不思議と言う・・・・
私は、何時死んでも仕方が無い・・・之が、生物だと思っている。その為に、その時々で逃げない方向性を模索し、その方向に向かおうと、思っている。
結果、我儘だし、己の思いを曲げなく、伝える、示す・・之を重視している。
勿論、絶対多数側からの攻めや、排除方向に向かうが・・・承知の上と言う事に成る。
基本、己の思いを殺し、我慢する事が、私は苦手・・・我慢が出来ない・・・飯が食えなくても、思いの方が大事だと考えている。
勿論、守るべき家族が居る為に、その思いも殺す方向に成るが、基本は、己の思いを通す、当然、思う通りには成らないが・・・それでも、無駄と思われても、それを続ける、諦めない・・・これが私と言う事にも成る。
この個性を変えたいとは思った事もない。
私は、己の思いが有るから、生きている、究極の個人主義と成る・・・己の思いとは、共存と成る。私も嫌いな人も居る、当然、三流の為に、その数は多い・・・しかし、嫌いでも共に生きると言う、思いだけは、忘れたくない・・だから、我儘だし、個人主義だと己を思っている。
当然、他人様も主義が有る。その主義を、受け止められる、器が必要に成るが、私には無い為に、直ぐに、論戦にも成る。
三流だから、面白いし・・・色々経験も出来・・・結果的に、人の一生で多々の経験が出来る、特に苦労と言う部分が大事だと考えている。
現代は、お金さえ有れば、物は手に入れる事が可能である。しかし、苦労は、お金の量と違う・・・苦労が面白いし、生きていると言う実感も獲れる、死と背中合わせと言う事も解り出す。
生きているだけで、幸せだし・・・感謝だと私は思いたい・・・・
之を学んで得る為に、この世に存在して居るとも考えている。
この部分を忘れ、一流の消費者になる事が、幸せと言う、刷り込みが続けられている。悲しい事に、消費者は生きている間の一時である。
生きると言う事は、消費する事、当然とも思える・・・私はそれ以外に有ると考えている。
美味しいものが有ると言う事は、不味い物が有ると言う事・・・・不味い物にも当然、感謝が必要と言う事・・・
勝つ人が居れば、当然、負ける人も居る・・・負ける人にも感謝と私は考えている。
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