2019年9月23日月曜日

人としての営み・・

先のブログの続きに成るが・・・・人は集団の中で生きると書いた。
勿論、全て出来る人間が居ると仮定すれば・・他の人の必要性は無い・・・しかし、人としての営み・動物としての責任を果たせるか???・・・私は疑問が有る・・・結果、個としての自立でなく・・・集団としての自立を私は考えている。

この集団の一番小さな単位が、家に成る・・・その為に、家で全て自己完結できれば、自立していると成る。勿論、人の営み・・・之には、人としての責任と義務を果たしてるという前提に成る。

昔は、この部分でも無理・・・之が有ったので、親族・一族と言う単位の集団での自己完結を目指す方向だったと考えている。

若し、この単位でもダメな場合は、村と言う単位の集団に成る。

結局は村内で、全て自己完結できる、自立した、状態が長く続いていたと私は考えている

しかし、個々の欲を、くすぐる情報が溢れ出す。

結果、個が全てが出来る、これが完璧な人間と言う勘違いを植え込まれる。又、己もそれに近いと思い込む状態になる。

結果、村の崩壊・一族の崩壊・親族の崩壊・家の崩壊と進んだのが・・・戦後の日本だと私は考えている。

結果、出来る人は、優雅に暮らす・・出来ない人は、お涙くださいこの方向に向かうが、誰も手を貸さない・・・この貸さない部分を、行政や国に任せているのが、今の現実だと私は考えている。

結果、年寄の蘊蓄にも耳を傾けない・・・自分の思う通りに進んだ結果、問題・被害を受けたと、今度は、当然、相手を責めるか???・・・行政を責める方向に成る。

人間の驕り・傲慢さが・・・大きく頭を持ち上げている。
自然災害は、有る事が前提・・・何度も書くが、完璧な人間でも「生老病死」から逃れる事は、出来ない。
この部分も自然の摂理に成る。

死に向かう・・・当然、文明の発達で、伸びる方向に成るが・・・最終的は????「死」と成る。

仮に名医が、自分自身の手術が出来るか????・・・文明の発達で可能になるかもしれないが・・・誰かの手が必要に成る。

今は、お金本位主義が蔓延しているが・・・現実にお金で全て買えるか????
売る側も人間である・・・売らない可能性も有る。

仮に、買うお客が、札束で頬を叩くような振舞いで、買うと言う・・・どう対応するか????・・・・各自で違うと思う。

この人の違い、対応の違いも、私の経験では、自称・優秀・一流と言う人は、何故か認めないし、一極・・・自分の都合の良い方向で考えている。
三流で、異端な私とほとんど変わらない事に成る。

子供達には、先ずは、自分の足元を大事に守れと言っている。
その後、広げ出す努力が大事に成る。

守るべき人を多々背負う事が、男として、幸せだと教えているが・・・現代の価値観とは合わないようだ・・・

現代は、どうにか立てる人は、生きれる・・・しかし、立てない人は????・・・
勿論、自分自身がそのレベルに成る可能性は高い・・・・

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