2019年9月16日月曜日

敬老の日

嫁里から、電話・・・ガラでもない事をしたから・・・驚いて電話が有った。

毎年の敬老の日・・・物をプレゼントしていたが・・・・嫁に、物はもういらない、捨てるほど有るのでと、里の母親から言われ・・・今回は行っていない。
勿論、嫁いでいる、嫁の姉にもその思いは伝わっているとの事。

里も、嫁の件で、悩んでおられる。本来、家の中で大親分的振舞いが出来る立場は、義父母に成る。我家もこの流れで来ている。
しかし、大親分が、嫁に成っている。結果、義父母は要らない存在と成っている。

当然、腹が立つが、現代の風潮だし、それが現代では普通と成っている。指摘が出来ない方向に向かっている。
その中で、敬老の日等に何か目に付く行動を、外に嫁った、立場の人間を行えば、大親分の気持ちを害する方向にも成る。

色んな配慮が必要に成る。昔は、当てつけに大きく目立つ物を贈ろうとも考えた事が有るが・・・嫁里の中が揉める事が解るので、行っていない。

色々、考えて、今回は、電報と言う形で・・・お祝いの思いを伝えた。

この行為が、義母には解らず・・・たまたま来られて居た、近所の同年代の人が、電報だから、大変な知らせか知れないので・・・と言われ、恐る恐る、開けたら・・・敬老の日のお祝い分だった事で・・・周りに居た、近所のおばさんたちが涙を流されていたと、笑いながらの、報告を、電話であった。

2000円弱で、これ程、感動を与えるとは、考えても居なかった。

物を、去年までプレゼントしていた、急に無くす、これも失礼と思い・・・行ったこと・・・

私は、子として、当然と思うし、普通と思う、特に、離れて住むなら大事だと考えている。

先月も、盆客を里も行った・・・毎年の事、当然、外に住む子として、伺うが、タダでは無い・・・お中元と、現金が必要と私は思っているし、私位の年代の人は当然と思っている。
しかし、我家でも盆客をする。しかし、外に住む、子供達は・・・手ぶらで・・何が食いたい等々不平を言って、我家に来る。

大きな違いだと思う。親として、子供に姿は見せてきたつもりである。しかし、肝心な部分は、確り、口で言わないと、解らないのが、私の子供の様だ・・・
勿論、我が子が、現代人の普通の感覚だとは信じたくない。
我が子が、劣っているからだと考えている。

以前、この事を、巣立った子供に言ったら・・・我家だけとの事・・・嫁里には確りしていると言ったので、安心はしているが・・・・

我家の人間と言う事にも成る。

嫁里とは、振舞いが変るという事・・・・之を、勘違いすると後で大変な事に成るので、受け側は注意が必要にもなる。

共に生きる、親と、別に住んで居る親とは、対応が違うという事に成る。


対応が違う、これを、差別言う考えが有るが・・・私は何度も書いているが、それが普通と私は考えている。

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