金八先生の武田氏が・・・人とは????と問うシーンが有名である。
人が人を支えている・・・何度も書くが一人は集団の中で生きる為に・・・他人との関わり方が大事に成る。
細かい事は多々あるので・・・支えられる立場か・・・支える立場かの・・・二つ限定すると・・・・この部分が確りバランスしているから人と言う事に成る。
勿論、各自・・・分が違う・・・私は何度も書くが三流で追っている立場の分だと考えている。
先の二つの立場なら・・・当然、支えられる方が多い立場の分に成る。
この様に判っているので、無理しても支える事が出来る様にと頑張る事に成る。
私個人の価値観で考えれば、私以上の勝っているレベルの人は、当然、簡単に無意識に人様を支える事が出来ると思っている。
しかし、現実にはこの様な方向でない場合が私の周りでは多い・・・
簡単に書けば、勝っている立場は人から支えられ、神輿に乗れると勘違いをしている人が多い気が擦る。
仮に、この相互扶助に成る部分が、崩壊していると成ると・・・・当然・・集団と言う団体がは残り続ける。人が居る限る有る部分に成るが・・・この団体も人格が有るとすれば、当然、団体下居る人達の価値観が大きく影響しだす。
しかし、個人と違い大きい団体・・・目立つ為に当然・・・相互扶助等の理想を理念と言いだす。
之が意味する事は、無の団体が掲げる物と・・有の人、その下に居る人間の価値観と大きく違う事に成って行く・・・・
現実が余りにも違うという世の中に向かう事に成る。
私は何度も尤物的部分は、プラス・マイナスが有り・・基本0に成ると考えている。
プラスを感じたら・・・誰かにマイナスを与えたという事に成る。
先に書いた、支える側と支える側も・・・その人の価値観で、どちらがプラスかマイナスかも変わる。
この様な事を、私は何時も考えている。
現実の矛盾が多く為れば、当然、団体側は統制する為に・・・色んな事を考えだす。一番は敵を創る事に成る。
何故・・・勝つために・・・・誰に・・・・相手が行っているので、悪と解っていてもそれ以上の事を・・・・結果、今ある矛盾は敵が居るからという理屈に成って行く。
一・個人としての価値観・・・・・個人主義も、自己完結・・・・先に書いた支える側にも成る。勿論、支えられる側にも成る・・・この部分を確り、認知しての個人主義なら良いが・・・・周りと対比し・・当然、恵まれている・・・之を求める個人主義なら・・・自分外は敵、これが当然という方向に成る。
再有的には・・・人の繋がりが気薄に成り・・・団体の意味も無くなって行く・・・・国の崩壊にまでなる可能性が有る。
現代、グローバル化とも言われるが・・・起点を変えれば・・・集団の崩壊・国の崩壊が進んでいるという事に成る。
若し、グローバル化で勝つ為には??????・・・当然、人の真心が消す方向が良いと成れば・・・本当に人の為の方向性かは疑問がある。
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