2019年2月18日月曜日

母が逝く前に、言っていた言葉を思い出した。

三男から、連絡・・・・・若嫁が分娩室に入ったと・・・・

検診で、女の事、言われている。

又、今日は、2月18日に成る。

母の誕生日が、2月18日・・・・

又、逝く前に・・・又、この家・家族の中に生れて来てよいか???と母は言っていた事を思い出した。

私は、その言葉に対して、物凄く悲惨な家に生まれた方が・・・母の人間力を試せるからと言っていた。生まれた後、どう生きたかの部分は、何不自由が無い、家より・・・・多々の困難が有る、家の方が、人として、鍛えられるし・・・・生まれ変わりを信じるなら・・・・この様な考え方が良いと、勝手な事を言っていたが・・・

其れでも、この家に、又は家族の中に生れて来たいと、言っていた。

不思議である。母に面倒を看ろと言われた、近所の老婆の命日も、母の命日と同じ・・・・・

又、葬儀の際に、母の気配を感じていた。

母が気にしていた・・・兄弟も、昨年で、略、逝ってしまった。

親分肌の母・・・・・・・

彼の世でする事も無くなったのか????・・・・・母に、次に生れる時は、性格的に男がよいか????と尋ねた時・・・・女が良いとも言っていた。

勿論、今日生まれるとは限らない・・・・しかし、母の思いが繋がっている感じが何時もしている。

軽い障害を持って、生まれた、三男・・・・母が一番心配していた・・・・この子が親に成る、之を願っていた。

未だに凄い、人だったと、私は思っている・・・・・駄々っ子の父を、よく制御していた。
勿論、その反動が、母の死後に起きているが・・・・

母の葬儀に、主婦を続け、70歳を超えた、老婆の弔いに、500人を超える、人が参列して頂いた。母の生きた証だと、私は考えている。

私の、妻・・・・嫁として向かい入れてくれた・・・・普通なら無理だと思うが・・・人の負の部分を確り見抜いているし、其れを包容出来る、器が母には有った。

何度がブログに書いているが・・・隣、部落の老婆・・・・一人息子さんが、結婚後、精神疾患の病で、離婚・・・勿論、入院・・・しかし、生活が出来ない・・・・正月料理を作り過ぎたと、家へ届ける事が私の仕事だったが・・・出来る面倒をしていた人・・・最後は、隣部落の民生委員等々の配慮で、生活保護に成られたが・・・その後は、ボケが出だして、最後の一年間は、施設には居られ、縁が切れたが・・・・寿命を全うされたと私は考えている。

通夜の時に、数人、香典を持ってきてないが、手だけ合わせたいと来られた、高齢者も居られる。
凄い、人だったと、思う瞬間人も成る。

勿論、人だから欠点もあるが、その欠点が何故か、忘れて行くし、利点に変わって行く・・・
之も、不思議だと考えている。

少しの悔いは・・・メーカーの招待で、サイパン旅行が有ったが・・・・母は海外に行った事が無かったので、パスポート等々の手続きを行っていた時・・・・急に、行かないと言い出し、行かなければ、ツーリスト券が、変わりでも貰える・・・こっちの方が、意味が有ると、断った時が有る。

何に使ったかは解らないが・・・・又、人様に使ったと思う・・・・

何が幸せかは、各自で違うと思う。母は幸せだったと私は信じている。

この立場に、私も近づいている・・・・・子供達に、どの様な振舞いを見せて生きるか???之が、問われている。

母は、私に、小さい・情けないと何時も言っていた。男なら・・・之が口癖だった。

微々たる・女々しい事で、振り回されるな・・・・勿論、心・命がと言う事に成る。

この部分が、境遇と境涯の違いにも成る。






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