今月末に、村の秋祭りが有る予定に成っている。
良い天気で有る事を願っているが・・・・
地域住民の繋がりも、気薄く成って来ている昨今・・・・・この様な模様しは良いと私は考えている。
特に、過疎化が進む、地位に成るし・・・古い閉鎖的、慣習も徐々に変えていく・・・当然、受け入れ側に成る方が、配慮しながら考える部分に成る。
之を、しなければ、今後、土着の古い住民より、新たにこの地域に来られた人達が増えて行く事が、過疎化を止める、策に成る。
しかし、新興住宅街も高齢化が進んでいるのが、現実・・・・核家族化で、家族共に家を購入され、この地に住まわれているが・・・当然、子供達が巣立てば、夫婦二人に成り、又連れ合いが逝かれ一人に成って居られる家も有る。
隣近所・地域の繋がりが大事に成り出す頃にも成る・・・・
勿論、この地で骨を埋める、この覚悟で住まわれていても、状況次第では、子供達が呼び寄せるこの様な事も有るが・・・・
この様な覚悟に対して、地域も配慮が必要に成って行くと私は考えている。
結局は、この繋がりが無い、結果、空き家に成り、地権者が誰かも解らない、知っていても繋がりが無い・・・廃墟状態に成っていても、何も出来ない・・・この様な方向に成らない様に、今が大事だし、当然、過去も含めて、この様な事が起きない様に、対処をして来たかに成る。
しかし、配慮をしていても、その家の後継者に成る人が解っていれば良いが・・・解って居なければ、何の意味も成さなくなる。
この部分は、家族としての繋がりが如何かに成るが???この部分は第三者が直接、手が出せない部分に成る。
看取った、近所の老婆も、我家との繋がり、縁を、老婆の親族も知っていたので、強い事が言えたし、当然、親族も悪い意味でないが、信頼して、任せられたと私は考えている。
何処の何方か解らない人に任せる、之は基本出来ないと私は考えている。
昔は、隣組と言うだけで、信頼された時代も有る。
又「遠い親族より、近くの他人」と言う、諺も有る様に、近所で支え合って生きていた時代も有る。
現代は、昔と違って、親族が遠くに居る、このケースが多く成って来ている。
イメージしてみる・・・震災等が最近増えているので・・・若し、大震災が我が地域に起きた、誰が、安否を確認に来てくれるか、何日も後の自衛隊か???それとも近所の誰々か???
日頃の、繋がりで、イメージが出来る筈。
私の様に、三流で、世間から蔑視されているなら・・・当然、我子が来るだろうと思う・・・
人様から、崇められている存在なら、直ぐに大勢の人が来るとも思う・・・
しかし、逆に私は無事と成ったら、勿論、子供達も心配だが、先ずは、近所の状況を確認して行くと思うので、子供達も直ぐには来ない可能性が有る。
イザと成れば、優先順位が確り出て来る・・・先ず、何を???之を考える。
隣は大丈夫か???こう考えた場合、隣に何人住んでいるか之も知らないなら後悔する事に成る。
無知で三流の私だから、当然、日頃、知る為に、繋がりを持つ事に成る。
この家は、男手が有る・・しかし、その人は仕事で昼間は居ない・・等々の情報を知っている事が大事に成る。
昔は、隣組住民名簿等々が有ったが、現代は個人情報法も問題で、無い・・・・結果、個人的繋がりで、知る事が大事に成る。
勿論、行政区長や民生員は知っているが、その人がその時、居るとは限らない・・・又、高齢の人がされているので、イザと言う時は問題に成る。
我が地域では数年前に、子供会も消滅した・・・・親達の意見で決まった・・・結局、子供確りした人数や状況も見えなくなっている。
視覚化しなければ、成らない時がイザと言う時に成るが・・・之が法律で出来難い時代に成っている。
イザと言う時は、我身が有るかも解らない時に成る。
優秀で一流な親でさえ、死ぬ時が有る・・・・どう対処し、家族を守るか???・・・・地域との繋がりが大事に成る。
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