2018年9月5日水曜日

嫁が帰って来て・・・妹が帰った。

嫁が帰って来た・・・・電話の件を話したら、見ていなかったと言っている。

何時から電話が止まったのか???と尋ねたら、今日からと言う・・・言葉を聞けば安心だが・・・

お客さん等の話だと、昨日も繋がらなかったと言って居られる。

勿論、嫁を信じる、之が夫の務めと言われているで、頑張りたい・・・

又、四男が面接に私の車で行く事に成ったが・・・燃料が必要だったので、大変な思いをしたと言ったら・・・ギリギリ足ると昨日の寄り、嫁が乗って感じたのでとの事・・・
彼女の感覚と、私の感覚、当然、大蔵大臣恩感覚が尊重される事・・・

之以上言わなくて・・・無事に面接に出掛けて行ったと伝えた・・・・


話しながら事務所を出たら、妹の車が無い・・・嫁に聞いたら帰ったとの事・・・ハ~~~ンと思ったが、之も一流の妹と、三流の私の格差が、問題の為に、基本、私の責任と感じている。

何故か、一流は、二流・三流にレベルを落とす事が可能だと思うが、しない人が多い、逆に三流が一流に合せる、之は不可能に成ると思うが、無理して合せたら、若し経済力なら破綻する方向に向かう。

不思議だ、何の世界でも、この山の頂上を目指せと、頂上で旗を振る人は多い・・・しかし、山を下し、人に手を貸し、又は背負って、登ろうとする人は居ない・・・

結果、登頂を目の前にして、倒れ、消えて行く人が多く成る。

その人はどう思うか、誰も縁し無く・・・孤独に、周りを見ずに頂上を目指し、結果、敗退した・・・良い思いでとは言わないと私は思う。

又、頂上で旗を振っていた人をどう思うか、接しもしていない人、良い人とは思わないと思う・・・

妹も嫁も、似ている点が、女と言う事なのか、普通は一般はと言われた瞬間に疑問を抱かない・・・

この普通は、誰かの主観が元に成っている。

仮に、英安時代の美人が、この様にタイムスリップしたとすれば・・・美人の価値観が違う世界、今なら、普通と違う・一般と違う価値観と、蔑むと思う・・

この心動きが大事、蔑む事も無いし、時代が違えば、仕方が無い部分、其れなりに確りした理由だ有る。之を否定する方向に発言る為に、普通や一般やと言葉に付ける。

特に不思議に思うのが、自分は優秀だと思っている人が、この単語を使う・・・人から優れている等々が、優秀と言う事に成る・・・人と同じと言う事が普通、レベル的に普通以上の筈なのに成ぜこの単語を使うのか???

若しかして、普通の部分も含みで、優秀と言うなら、レベルを下げる事は簡単だと言っている事にもつながる、其れならレベルの低い考え等々も理解が出来る筈。

しかし、理解出来ない、解らない、と成る人が多い・・・

レベルとは別ける為に有るの物で無い・・・・

親と子供のレベルは違う、なら、別けて、別の世界、次元等々を考えて、同じレベルの人だけで生きる世界を作る、之がファシズムだし、差別に成る。

人は、基本同じ、社会で暮らしている・・・簡単に書けば地球上で人として暮らしている。

勿論、地球の裏の人と縁が有り、直ぐに気に成る等々無いと思う・・・その為に近くの人と共に生きる事に成る。

別次元に入る為に、優秀と言う事で無い・・・・共々に生きれば、当然、色んなレベル価値観の人が居る。

先に書いたが、レベルの低い方が、上に合せる事は基本出来ない。

生きる世の中で、レベルが高いと自称している人は当然、人に手を差し伸べる事が出来る人だと思うから、優秀な人と成る。
この行動が出来るから、人として優れていると言われる。

この理屈が解ると、悪い言葉に成るが、優秀な人には集る事が出来ると言う事に成る。

利他に徹したから、凄い人、優れている人といわれる。

三流の私に集っても、当然、ホコリしか出ない・・・優秀な人に集れば、当然宝が出て来る筈。

しかし、最近の優秀・優れていると言う人の意味には、集れば逆に宝を吸い取られる、この様な人を表現している事も有る。


時代の変化で、美人の基準も大きく変わっている。

優秀と言う意味も変わっている可能性が有る。

先に書いた、微人・・逆に現代の美人を平安時代にタイムスリップしたら・・・微人と思われて、大丈夫か、之で仕事が出来るか、子育てが出来るか、子供が産めるかと多くの疑問を投げかけられると思う・・・・

人の主観は変わる・・特に、他人に対しての見え方等々の部分は大きく変わって行く。

現代人が、平安時代に行けば、差別・蔑視されている、異端児扱いされた、パワーハラ、セクハラを受けたと直ぐに思うと考えます。

しかし、今の考えで行けば、この様な環境の常識が間違っていると、訴える事も出来る。

平安時代に訴える・・と叫んで何か意味が有るか???・・・

被害を受けたと感じた人が強いし、その理屈に対して、社会が????良いか、悪いかに成る。

不思議な考えかた、物事の組み立て方が、まかり通る時代に成っていると言う事に成る。

之が常態化すれば、物事の流れ等々も無視・・・・・事実が大事と、その時一瞬の部分に執着する流れに成っている。

簡単に書けば、徹底して侮辱、それも侮辱に当たらない、褒め言葉で・・・・之でカーと来て、手を出した・・・出した方が全て悪い事に成る。

又、筑後弁で、東京で話していた・・・第三者は田舎者が、絡んでいる様に見える・・・この状況を警察に言えば、田舎から来た人間に非が有ると成る可能性が高い・・・

警察も裁判所も、結局は一瞬の見掛けで左右されている。

此処まで、日本国民が、唯物的価値観に染まるとは、世界がビックリしていると思う。

物に執着と言う意味も有るが、物が基本、他人からの評価見た目に成っている。

自分と言う部分が無い・・・

人が羨むからの物に成っている。

勿論、資本主義の日本だから仕方が無い部分に成る。





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