2018年9月10日月曜日

感覚・・・・・感受性

生きて行く中で・・・・情報を得る・・・之が大事だが・・・

この得る為に、人は五感等々を利用している。

又、得た情報を元に、どう感じ、どう対処するか???・・・・・この部分も人で変わるし・・又同じ人でも経験値の発達と共に変わりだす。


先ずは、現象を捉えきれる、感受性が求められる。

この部分が無ければ、先に進まない・・・・その為に、五感等を高める・鍛えると言う事も大事に成るが・・・・現実にはこの部分は、有る年代に成れば、劣りだす。

しかし、この部分が長けてても・・・其れを使う人・脳が、注視する事が無ければ、意味が無い・・・

凄い良い、眼・視力を持っていても、観て居る方向が違えば意味が無いし・・・見えて居ても、其れを理解出来る、経験値等々の、処理す頭が無ければ、又意味が無い。

この事は、同じ現象を見ても、色んな解釈が有ると言う事に成る。

この色んな、捉え方を、聞く・・・之も経験値のUPに繋がる・・・・・・・之が出来なければ、結果的に他を排除する方向に成るし、之が差別の根源にあると私は考えている。

世の中には、色んな人が居る・・・当然、友達も色んな人が居る事に成ると思うが・・・・この部分が有る方向性に、成っていると言う事は、自分がその方向性の人間と言う事を表している。

自分が解れば、それ以外の部分を見る学ぶ之も必要だと私は考えている。

人は、環境の中で生きる・・・・環境が悪いと言っても、そこから出る事は出来難い・・・・

だから、普段の振る舞いに通じる、考え方が大事に成る。

又、今有る環境が、続くとも限らない・・・・地域社会が、どの方向に向かっているかも大事に成るし、其れが良ければ、良いが、悪ければ、何かの努力が必要と成る。

勿論、人だから、自己保身の心も厳然と存在している。その為に、周りが悪く成っているからと、この部分を放置して、自分の為だけの、蓄財に励む人も出て来るが・・・唯物的物は何かで一瞬に無く成る場合も有るし・・・・子供に言っている事だが、金が有るから買えると高を括っていると、間違い、売る人が居なければ、買う事も出来ない。当然有ると言う意識が間違いと言っている。

日本人は、天災が多い、国に住んでいる・・・・その為に、この様な部分は、肌で感じている筈と私は思っている。

生産地が有り消費地が有る、之だけで事が足りるか・・・・当然、物流を行う処が無ければ、物は動かない・・・・全てが整って、初めて、社会が存在する。

しかし、その部分も、効率化・・・簡単に言えば、低コストと成れば、最低の人員、機材で行う方向に成っている、可也、危険なバランスで保っていると言う事・・・・

物流も道が無ければ、意味が無い・・・・若し、この部分が少しでも無く成れば、当然、潤滑な社会の維持が出来ないと言う事に成る。

今回も、北海道で大地震が起きた、昨日は、我が地域に近い、熊本でも地震が有ったと言う事・・・
その地で、一所懸命に動き回る人も、被災者に成る・・・・・

仮に、私が良く言う、使命感が無ければ、私も被災者と、仕事を放棄できる・・・・使命の為に、踏みとどまる人が、居るから、最低限の部分が機能している。

結局は、この様に徹して、守り抜くと言う、使命感を持っている人が居る事が、最後の砦と言う事に成る。

結局は、名も無き人達が、献身的に、行動されている。之を私は凄い事だと考えている。

何度か、人の死に、葬式に対して書いているが・・・・当事者、遺族はバタバタしている。昔は葬儀屋さんも少なく、地域・隣組が下働きで、色んな事をしていた。

役所への届け入れ等々、多々の仕事が有る。又、告別式等々行えば、その段取り等々で、死を受け入れる暇も無い・・・・
この部分を、受け持つ下働きをする、之が有ったが・・・・今は無く成っている、結果的に、親族でも血縁が遠い人が、下働きで動く、この方向に成るが、この部分も崩壊している。

結果的に、下働きが居ないから、葬儀屋に依頼する事に成る・・・・・

若し、葬儀屋が無く成れば?????又は、依頼者が減り続けて、結果的に費用が高く成れば????・・・・昔の方向に戻るしか無いか、一度壊れた部分を、修復する事は、簡単で無い。

この大変さを、昔は引く受ける、表面に見えない、人が居た・・・・之が無いから、面倒だと、葬式も簡素化、しない、この方向に成っている。

結局は見え易い部分の、絨毯の上を歩く、座布団の上に座る、この部分しか見えない為に、絨毯を敷く・座布団を出す・・・この部分を行っている人達を育てて居ない。

簡単に書けば、無償の奉仕に成る。この無償の奉仕が出来ないから、有料の奉仕に成り葬儀屋が存在している。

しかし、社会の流れは効率化、低コスト化・・・葬儀が効率的か???と考え、価値観が唯物的なら、当然、不要と成る。

遺族もこの発想の価値観なら、葬儀をしないと成り、之が増えれば、当然、葬儀屋の維持が難しく成る。

この流れは全ての、商売に関係している。

簡単な、単語、昔はサービスはタダと言う、意味合いが強かったが、今はサービスがお金と成る方向に成っている。

世知辛い世の中と言われる人との部分だと私は考えている。

今回の災害でも思う事が、若し、我が地域にこの様な事が起きれば、高齢化が進み、独居老人が多々住む、地域・・・・私に何が出来るか、又、出来る範囲等々を、考えている。

向こう三軒両隣等々が、限界で、其れ以上は、無理・・・しかし、この部分だけでも、20件近い家に成る。

誰が住んでいるか???・・・・普段の体調は????・・・等々を考える事に成る。

ガスは、プロパン・・都市ガスで無い為に、煮炊きは出来る。水は、井戸が有る、当然、ポンプは電気でが、発電機は、有るし、車からインパーターを通して、家庭用の100Vの供給は出来る。

田舎の為に、食べ物は、畑等に有るし・・・・チェーンソー等々も有る。

唯、其れを使う、若者が居ない、之が、今の問題と考えている。

現役世代が、外へ働きに行っている・・・・この時間帯に、何かが有れば怖い・・・・

又、我が地域には幼稚園も有るので・・・色々考える事に成る。

勿論、三流の私が考えている以上に、優秀で一流の人は、考えておられると思うが・・・・

しかし、若し、優秀や一流が、利己主義で自己保身の、夕物論的発想の人なら、当てにも成らない人と成る。

私の母の葬儀の際に、書いているが、品の有る人は当てに成らない、座布団の上に座り、色々耳の痛い事を言い続ける。逆に、ガラが有る人は、何か手伝う事が無いかとバタバタ駆け回っていた。

上座に座りたがる人も居る、下座にも座らず、働きまわる人も居る。

当事者に必用な人は????・・・・・・私は、ガラが有る、働きまわる人の方が良いと考えている。

母の葬儀で、母が育てた、名代・後継者が多々、働いた、之が母の生きた証だと私は考えている。

私の、子供達も、私と嫁・長男は座っといてと次男・三男が動きまわっていた。







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