2023年7月3日月曜日

三池港へ・・・・

 今朝は、久しぶりに、五男を三池港の宿場まで、送り届けた。

熊本県との県境に有る、港・・・・昔なら、かなり時間を要したが・・・今は沿岸道路が有るので、20分位で着く・・・・

又、この前、余りの車の使い方の問題で、指摘しても、対処してあげても、その都度、返事は「ハイ」「以後気を付けますと」返事は良いが、等の本人達は、その意味を理解してないようなので、私の仕事車を貸さないと言っていたので、その車が今は嫁の通勤の足に成っている。

結果、嫁の送迎が、今は無い分、体が楽に成っている。

しかし、親馬鹿、車を綺麗に掃除・メンテしたら、又、四男が使っても良いと思っている。当然、「有難う」と言う、感謝の思いや振舞をするわけは無いと思うが、それが大人の対応だと私は考えています。

要は、餓鬼道レベルの息子達、体は一人前の大人に見えるが、心や考え方等々の価値観の部分が、餓鬼道から離れ成れないで居る。

当然、この様な、タイプは、お礼等の感謝の振舞をしないし、全て上手を取る、これに注視しているので、この様な事は無かったことにする。

これが餓鬼だし、当然、子供も、昔は餓鬼と言われていた。何故か????だから、大人に成るために、強い仕付けや経験をさせていたが、最近は、真綿に包んだように育てている。昔も同じ、子は宝だが、昔は、宝なら、当然、宝となって貰いたい、その為に仕付けや、経験・等々を学ばせていたし、人の宝となる為に、子も確りと頑張っていた。

今の宝は、宝石の様に、拭き摩りする、物になっている。宝だから、大事に、育てる、悪い言葉で言えば、甘やかせて育てる。

当然、餓鬼という命が抜けないままに、大人に成ってします。

手が付けられない、自己中の人間に成るという事・・・・これのレベルで、力やお金が人様より有る立場に成ると、己の価値観は正しいと、それを押し通そうとし出す。何時も書く、独裁者の価値観と同じになる。

人様の施しや、お陰で、今の己が有る。全て、己の力で得たというなら、その分の汗や血を流しているのか???当然、この様な生き方は得だと思っても居ないはず。要は、楽して力や富を得る、これが長けているから力が有る出なく、人様のお陰という事に成る。この部分を気付かないと、傲慢な独裁者という事に成る。

私は、母から、言われていたことが有る。国は国の決まりがある。同じ要に、県には県の決まりがある。市には市の決まりがある。同じ要に、一番身近な集団の決まり、家には家の決まりがある。

その為に、周りの家と違う事は必然と教わっていた。

要は、我家で生きるなら、当然、我家の決まり事に従ってもらう、それが、嫌なら体一つで出て行けと何時も言われていた。

要は、裸で出て行け・・後は勝手にと言う事になる。

考えてみれば、着ている服・体を成長させた、食物等々、全て、家と言う処からの施し・・・・言葉も、知識も、知恵も、当然、家と言う足場が無ければ身に付かなかった事に成る。それだけの施しを受けているのに、その分を返せ出なく、出て行けで済む・・・優しい言葉だと私は、思っていた。

要は、この様な恩を受けたと感じれる、心・命に成る事が、心・命の大人への成長だと私は考えている。

私は、父の結核での闘病、家の事業の失敗、等々を、二十歳前に経験した。当然、良いことで無い・・・しかし、私には大試練と思えた事を経験できたことが、結果的に、恩を感じやすい体質に成ったようだ・・・・

受けた恩は最低でも返す、出来れば、二倍にして返す・・・これが幸せの連鎖だと私は考えている。

この逆が、不幸の連鎖に成る。どの方向に、意識が向き、強く己を突き動かすか????燃し、悪い方で動かすなら、それを感謝と捉えきれなければ、悪の連鎖の始まりに成る。

24時間営業のディスカウントストアで買い物も済ませた。

嫁が、帰って来て、直ぐに休めるように、私で出来る事は、出来るだけ行ないたいと考えている。

不思議に、欲を求める事が出来ない体に成ると、何故か、益々、己の体の利用先は???と考えると、己より、他人に成る。

不思議だ、鬼畜の命が強い、私が、何故か、菩薩の様な心に成っている。

我欲全ての筈の私が・・・・殆どの欲が出来なくなっているためなのか???当然、出来る立場・ポジションで、このレベルに到達すれば、この様や試練は無いと思うが、私は、愚かで、馬鹿な鬼畜の命を持っているために、痛い目に遭わないと気付かないタイプのようだ・・・

この事は、仏教の世界では、全ての人間がいつかは経験する事らしい、今世で経験できなければ、来世に成る。

仏教思想では、この世は就業の場と言う捉え方をしている時がある。要は、仏に近づくための、修行の場、当然、行なわない人も居る。しかし、来世等の考えが有るので、何時かは、誰しもが渡る事に成るという事・・・その最高峰の振舞が出来るのが、菩薩と言われている。

子供は餓鬼・・・・それから、菩薩まで、多々のレベルが有る。

当然、己の好む環境・世界が居心地が良い、結果、餓鬼道の人は、その世界の中が一番居心地が良いと感じているが、心や命の部分で、違うと言う思いが絶対に有る。しかし、抜けだす勇気が無い・・・これを無間地獄という・・・・

地獄の環境を好む人、居心地は良いはず。しかし、何処か誓うとなる。

当然、この様な環境を望む人は、天国と言われる環境は苦痛でしか無いと思う。

要は、今の環境・状況を、主体的に受け入れて、考えて、どう対処していくか????・・これを行動に移し、躍動的に動けるように成る事が、私は幸せだと考えています。環境動向で無いと言う事・・・

各々、今有る現実に対して、どう対処していくか、主体的に躍動的に同挑戦し続けるか???これが出来ている間が、幸せで、充実している時間だと私は思っています。

息子らも、少しは、学んで欲しい・・・・強く言うなら、学び取って頂きたい。

利口者が増えている、昨今、バランスを取る為には、当然、バカと言われる人も必要に成る。

私は、そのバカに属すると思うし、家での私の振舞は、親馬鹿な振舞だと思っている。理由は、自業自得、子を大人にする事が出来なかった為に成る。



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