災害等の問題が起きると、当然、個人として問題・障害が出る・・・現代は、直ぐに個人対国と言う関係性に成っている。
昔は、世間様や国に迷惑を掛けない・・これを求めていたし、尊ばれていた。
個の問題は、家と言う部分で、解消・吸収していた。
私が幼い頃は、一族の中の誰かが問題を起こせば、一族で対応していたし、本家が等々に成っていた。
結果、都会で病に成れば、里に帰り・・里が保護し、面倒を看る・・・当然、それだけの家が有ったし、広さも有った。
私の父は結核だったが・・・・私が生まれる前は、座敷牢・・・隔離する為の部屋等も有った時代・・・この様な設備を持っているのが一族と言う単位だし、本家家と言う立場の威厳に成るし、当然、それだけの富も有った。
しかし、災害や病と言う事が、非現実的に成るに従い・・・平等が蔓延、要は差が認められないと成る。
結果、家と言う物も、平常な時だけを考えた、形に成る・・・・客間等々が、無くなって行く・・・勿論、災害等無い、まさかがと言う現実が無ければ、其れでも良いが・・・・若し、まさかの災害が起きたなら・・・・当然、家・一族でカバーできない状態になる。
若し、四人家族で、二人が感染したら、自宅療養・・・隔離できる部屋が有るか???・・・陰性の子供の面倒は誰が看るのか????・・・・セフティーに成る部分を考えていない現代・・・当然、セフティーは行政・国と成っている。
我家も現実には、現代子の息子達・・・外に出て、家を建てたが、余裕が有る部屋な無い・・・要は、今の家族、意外に受け入れる余裕は無いと言う事・・・
しかし、出て行った、実家は、今、母屋も使っていない部屋が、6室有るし、事務所二階には2部屋が空いている。
之を、知っている息子達は、アパートの契約と、新築の家の引き渡しがズレた時は、我家で数週間、暮らしていた。
要は、イザという時の避難場所・・・逃げ場所が現代は家単位で考えていないと言う時代に成る。
核家族の弊害に成る。
本来、孫の面倒を看る立場の、爺婆がその役目が無い為に、お金を稼ぐために、働くと言う時代に成る。勿論、中には、己の趣味を満喫できる人も居る、
稼いだお金は????・・・私が住む田舎は、巣立った子の為、孫の為に消えている人が多い・・・
銀行を通しての、送金、恩等感じ難い事に成る。
人の面倒は、人が必要だ・・・之が現代、意識から遠ざかっている。
本来、血縁・親族が、親身に成れるし、必死にもなれる・・・要は、労を苦と感じ難い人達に成る。
当然、お金と言う対価も必要性が無い・・・・
一族の中から、世間様、迷惑を掛ける、之を一番嫌った時代も有ると言う事・・・
現代は、世間様から、多くの事をして貰える立場が、良いと言う価値観に向かい過ぎたと私は考えている。
昔なら、恥の振舞いと成るが、現代では羨ましい振舞いと成る。
今のマスコミを見ていると、親として仕事もしなければ、しかし、亭主が感染した、その面倒は、妻が・・・子は誰が看るのか???と成っている。
要は、奇跡的に、現代の普通の世界つが出来た居たと言う事・・・その普通が、普通で無く成ったら・・・一気に破綻する。
今まで、創り上げた、システムが、天才・流行り病で、一気に問題点が出だしていると私は考えている。
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