2021年8月23日月曜日

今朝は・・・・

 五男を駅に送って行き・・・その後、五男がバイクで来訪、直ぐに会社に送り届けた。

最近、嫁が凄いと思える様になった。理由は、私は理数系の人間の為に、直ぐに数字と言う見えやすい部分で評価している。又、三流と言うレベルの為に、基準が有るし、当然、己が思う普通から発している。

この己が思う、普通と言う部分が、嫁とは違うと言う事・・・この部分は当然と思うが・・・嫁の凄さは、人間は生き物として見ている部分だし、大きく言えば動物として見ているとも言える。

嫁の場合、人間が大事と言う意味で無く・・・生き物が全てが大事だと言う事・・・大事な生き物の中に人間も含まれていると言う事に成る。

私は、動物は動物として見ている・・・人間は???と考えた場合、動物と言うより、精密で高性能の機械だと言う、捉え方をしてしまう傾向が有る。その為に、人間は失敗も間違いも起こす、動物と同じだと言う事を、己に言い聞かせているが、ツイツイ忘れてしまう事も有る。

人は、人である、しかし、肩書等が有ると・・・人が人間で無く、先に書いた精密で高性能の絶対に間違いを起こさないと何故か、思い込む傾向が有る、勿論、三流の私の捉え方に成る。勿論、駄目だと言い聞かせているが・・・・

最近、人を求めているのか、肩書を求めているのか????・・・之が曖昧に成っている。

肩書が有っても、根本は人で有るし、人間と言う事・・・・

嫁の凄さは、人各々のレベルを知り、それを受け入れ、褒める事が出来る部分・・・

特に、彼女より、レベルが低い、人に対しては、この傾向が強い、逆にレベルが高いと、直ぐに肩書等に、惑わされ、人として判断できなくなる。

人夫々、能力が有り、限界が有る・・・犬にお座りを指示し、座った、凄いと褒める・・・

この様な事を、人で出来る事に私は凄いと思っている。

人なら、指示し、それを完璧に答える事が出来ると私は思っているので、褒める事より、完璧でない事を、攻めることに成る。

最近、体調が悪い、五体も不満足に向っている中で、嫁の凄さを解るようになってきた。

本来、出来て普通・・・之は私の感覚に成るが、之が出来ない・・笑いたくなる・・・

例として、リハビリの先生から、両手を広げ、鳥に様に羽ばたく練習と言われた・・・簡単な事と、行ったら、右手は三度羽ばたくだけで、限界に成った。左手は何回も羽ばたけるのに・・・笑いしか出なかった。

リハビリの先生が言われた事は、人間は、機能が無い部分を他がカバーする、要は、物を有る高さに上げると思ったら、仕える部位だけで、それを可能にする場合が有る・・しかし、無理をしていることに成り、結果的に、無理している部位も壊すと言う事を言われた。

要は、短時間は出来るが、それ以上だと、壊れだすと言う事・・・・正常だと、長時間できる、しかし、疲れる・・・回復すれば、又、続ける事が出来る。

壊れたら、続ける事が出来ない。

健常者が出来る事を、したい、行いたいと思う事は、仕方が無いが・・・壊れた状態でそれを行っては、現状以上に悪くする・・・この当然の事が、何故か、社会だと出来ない。

以前も書いているが、肩を壊してから、嫁と一緒の買い物に行っても、物を持つ事は無い、嫁が、全てを持ってくれている。

しかし、社会ではそれが、出来ない・・・正常を装うと言うより、正常を演じる事を求められている。

結果、壊れた肩を、益々、壊す方向に成る。

嫁が、障害が有る、人達から好かれる理由が、解る感じがする。

人各々のレベル、能力を見抜き、褒める事が出来る。

絶対に、己が持っている、基準を押し付けない・・勿論、先に書いた様に、己より、能力・レベルが低い方向の人に限るが・・・逆に、肩書が有り、一流と言われる人には、原理原則と言う、決まり事を求めだすので、結果的に、嫌いと成っているし、信用できないと成っている。

嫁には、その部分を私は言うが・・・彼女の場合、力とはお金と思っているので、お金持ちには、原理原則を、強く求めていることに成る。

私が怖いと何度も言っている、原理主義に走り過ぎると・・全てが原理原則から離れている、違っていると成る。

要は、人間を認めないと言う方向に向かうからに成る。

要は、人間とは???・・・この原理原則なら、良いが・・・人間は間違いも失敗も行う生物・・・之を否定する方向の原理原則が多いことに成る。

私は、修理人、機械を直す事が、仕事だが・・・治す事が出来ず、逆に壊したことも何度も有る。

原理原則の考えなら、有りえない修理人に成る。しかし、私は人間だし、初めての見る機械も有る、当然、触った経験も無い・・・失敗の可能性が高いが、経験を積むと言う事は、失敗を重ねる事だと思っているが・・・現代はそれを認めてくれない。

結果、出来る部分は行うが、不安が有る方向は避けると言う事に向かって行く・・・

しかし、社会は、修理人と見ているなら、当然、之も之もと色んな事を言われるし、依頼される、出来て普通と思っている。

その都度、私も人間ですと言うが・・・その返答が気に入らないと、縁を切られる人も居るし、認め、それでも挑戦として行ってくれと言われる人も居る。

私の経験上・・・切られる人が80%位に成っている。

要は、世間が求めている事が、これなら、出来ない・経験が無い事も、出来ますと言う事が最善と言う事にも成る。

要は、人は、精密で高性能で、絶対に失敗しない、間違いを起こさない・・・人間では不可能になるから、機械を求めていることに成る。

当然、壊れた機械等々、認めないし・・どう対処するか・・・廃棄・捨てることに成る。

人が、何故、普通を演じているのか????・・・・理由は、捨てられない為と言う事にも成る。

嘘でも演じられている間は、人として認められる・・・

私は、今世紀は、人は人、人間が大事、之を再度、考える世紀だと何度が書いてきた。

しかし、機械として最高のマシーンを人に求める方向の流れが加速している様に思える。

肩書が、マシーンは目的・機能に成り・・・当然、性能を問われる・・・最新型が良い等々に成って行く・・・カタログスペックに成る。

スペックを満たさないと、騙されたと、被害者を増やし続ける流れ・・・怖いと私は考えている。




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