台風も、去り・・・・風邪も、落ち着いて来た・・・
荒れ狂った様に、吹く風が、冷静さを取り戻しつつある。
私の母屋も、雨戸を開け・・・・光が部屋を照らして・・・何時もの状態に戻った。
その後・・下の二人の息子が自室から降りて来たので・・・倉庫の養生で窓にコンパネを当てていたが・・・その撤収を手伝ってくれた・・・・・感謝に成る。
総数7枚のコンパネの撤収・・・手伝うと、今後の対処も、私が居なくても、出来る可能性が有る。
この様に、教える責任が、私には有るが・・・要は、習う方が効く耳を持たなければ、何の意味もない。
しかし、効く耳を何時、持つかは解らない・・・その為に、言い続ける事に成る。
私は恵まれている。耳を持った、息子が五人居る。
耳は有るが、効く耳かが問題なだけ・・・・
私の一生で、処理できる後始末の量も限界が有る。要は、後始末が出来ない部分が有ると言う事・・・この部分を誰かに委託する事に成る。
勿論、委託する人は、その訳や方法等も、理解している事が求められる。
人間として、先人が残した、遺産には、当然、後始末が必要な部分も有る。
勿論、三流の私、人間・人類と言う大きなスケールは無理と思うが・・・少なくとも、我一族の後始末は、誰かが続け、又、後世に告げる必要が有る。
今の時代、長兄や家長と言う、責任者の所在が曖昧に成っている・・・之を良い方向に解釈すれば、全ての子供に責任・義務が有ると言う事・・・
一人の長に責任を押し付けるのでなく・・・全てが責任を負うと言う、考えに成るし、その様な価値観を教える、立場は、当然、親と成る。
今は、その義務と責任を、たらい回しにする方向に向かっている、理由はこの部分の教えを受けていない為に成るし・・・責任からの回避・責任を無視し、遊び回る事が、幸せと思える価値観が、広がっている・・・之が意味する事は、何度も書くが、虫けらと同じ、レベルと言う事、蛍も甘い水を求め、苦い水は嫌う・・・・
人間と言う立場で、虫けらの価値観、教えなくても習わなくても、簡単に誰しも向かう方向に成る。
要は、不安が増大する流れに成る。結果、不安を忘れる為に、浮かれる場所を求めだす。
昔なら、一般人の生き方で無く、賭博師・・ヤクザの生き方に成る。
彼達も、不安が有るから、その日の享楽を求めていた。
又、守り抜くものも持たず・・・浮き草稼業と成っていた。
誰しも解ると思うが、その様な生き方で、誰が得したか・・・侠客と言われる、一部の親分に成る。
殆どの人は、将棋の捨て駒と同じ、運命を歩んでいる。
息子達には、徹して守り抜く、この様なものを持って欲しいと願っている。
死守するものがある人は、幸せだと私は考えている。
当然、優先順位も出て来る・・・・死守できる、幸せを感じて貰いたい・・・
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