今朝から、妹が父を大病院に連れて行き・・・・何処・此処が痛いと言っていると言うより、言わされている・・・患部を診せに行っていたが・・・・
今帰って来た。
妹が、全く問題ないと医師から言われたと言う事・・・・予想はしていたが、病気で無くて、良かったし感謝している。
しかし、父の目的には適っていない事に成る。
次はどの様な、策を練り、出してくるか・・・楽しみだし、心配だが・・・・父の個性からすれば、次の方法も、若干だが予想が付く・・・・・
妹は、父に言う事に対して、行動した、思いに対して行動したでは無いが、其れまで含みでしていると思っていると思う・・・・
言葉の、本心の違いが、近いなら妹の思いも、適うと思うが・・・・若し遠ければ、当然、父の思いに答えていない事に成る。
言葉での表現力が弱い、之が有るなら、この部分を磨くか、大親分の様に、顔色を見て、周りが色々してくれる立場を望むのも、有ると思う。
又、大親分に上り詰める、方法も色々出て来る。
又、場所は環境でも変わる部分に成る。
之の部分も、基本に有る価値観に成る。
赤絨毯の上を歩く、又は絨毯を敷く・・・大きく分けて二種類の立場が有る、どちらを望むかが価値観に成る。
絨毯の上を格好良く歩く・・・・又は、絨毯の上を歩く人に怪我が無い様に、願い、一所懸命に絨毯を敷く・・・
どちらが、人の心・命として、レベルが上なのか????当然、この部分で、上と思う方がその人の価値観の本質に成る。
よく天使の囁き、悪魔の囁きと、表現される時が有るが・・・・本来、人とは、色んな価値観を内在している。
無い価値観等が無いと言う事・・・・気付き難いが全てを持っている・・・その全ての部分で、何を選んだから、その人の、思いと言うより、環境・境遇が大きく関係している。
父も父が創り上げたとは私は思っていない、周りの環境や人々が父を創り上げている。
その為に、私にも責任が有るし、当然、負の部分を背負う覚悟が必要に成る。
この部分を本来、先輩方や先人が後輩に確り、教える、之が求められていたし、その時代が長く続いていたが、近年の100年ほどで、衰退している。
現代では、親や祖父母が教えるしかない時代に成っている。
先に戻るが、人は悪魔にも成るし、救世主にも成ると言う事に成る。
又、住む世界、環境でも変わる、今の自分に与えられた場が、今住んでいる場に成る。
その場で、どう振る舞うか????之が問題に成る。
先に書いた、赤絨毯の上を歩く方向の価値観で振る舞うか、絨毯を敷く、方向の価値観で振る舞うか・・・小さな違いを入れれば、多々の価値観、振る舞い方が出来ると言う事に成る。
よく、先人が、人生は舞台、その舞台で、何を演じて生きるか???・・・之が人生と言われている。
仮に、演じていると考えれば、色んな、配役が必要だし、何を選ぶかも各自の考えに成る。
仮に通行人の役でも、絶対に主役以上に目立ってやると言う思いで、演じる人も居る。又は、主役を目立たせようと、配慮し演じる人も居る。
どのタイプを、監督が望むかに後は成るし、視聴者の目線で考える事に成る。
全ての出演者が、主役より目立とうと演じば、如何なるか????
人は、全てが含んでいるので、可能性が有るし、夢が有る事に成る。
環境が求める役を演じていると言う考えも大事だと思う・・・・
しかし、演じるにも、力が無ければ意味を成さない・・・・この部分を磨く、之が日頃の人との絡みだと考えているし、当然、不得意な人や見たくない人との絡みも大事に成って行く・・・
人は、時として、若者を演じる時も有るし、老人を演じる時も来る。
その為に、力な無く、結果的に若者した演じきれないのに、老いて、五体が負満足に成れば、当然、精神的にも荒れて行く・・・・
唯、大事なのは、心より、精神性に成る、この部分は貪欲に新たな物を求めて追求し続ける。この部分は老いる事は無い・・・・と、私は考えています。
しかし、五体は心は老いる・・・老いに合せる為にも色々な事を学んでいなければ、当り前の老いる事さえ、不幸や、絶対に嫌等々の心が出て来る。
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