2017年6月26日月曜日

疲れた・・・

今日は、色々有り過ぎた・・・疲れた・・・・

思いもしない、まさかと言う時が、有るし、之が私の人生には多い・・・・

このまさかに対しての備えが有るか、無いかが必要に成るが・・・・備えとは何かに成る・・・・

結局、最終的には、形有るものは何時かは無くなる・・・この部分を確り、認識しているかに成る・・・・

お金の蓄えをしていても、まさかの時には無いという場合も有る・・・・

人に対しても同じ事で・・・先輩から、人は信用しない事、大事な部分は信頼この部分で止める・・・・

勿論、レベルが高くなれば、許容力も増す、増せば信頼する人を増やす、之も出来る事になる・・・

結局はまさかの時の備えの、考えに成る・・・・

RCドリフトでも形を優先すると、有り得ないと思える、まさかが発生する場合が有る・・・・

走行中に前の車が急にクルリ等々が起きる・・・・勿論、洞察力が高まれば、それ以前に予兆を知る事も出来るし、操作技量が高まれば、咄嗟に避ける事も出来る様に成る・・・・

この練習は、まさかという経験を多くすれば、自ずと身に付く部分に成る・・・

しかし、このまさかを、容認できない、この形が正しいと勝手に思い込む方向ならこの様な考えも出て来る・・・此考えの特徴として、同意者を募る傾向が有ること・・・・集団、多数が正しい、と言う、方向性を作る事に成る・・

この様な環境では、まさかな現象を起す、之事態が、悪に成り出す・・・・

先に書いている、まさかへの対応も、経験が少なく、無いという前提での走行に成る・・・


この状態なら、異質の存在を、受け入れる事が出来るか???無理だと私は考えている。


人は本能的に同意者を集う習性が有る・・・・この様な集団の角質が問題になり、大きくなれば、国同士の戦争にも繋がって行く・・・

このまさかの事に、何故か、本来当たり前に起きる、何度も書くが「生老病死」まで含まれている・・・・

この様な人の特性を考えると、嫌な事を考えない方向性が有ると言う事・・・当然起きる事さえ考えもしないし、その現象をまさかと捉える、価値観だと言う事に成る・・・・

之をノー天気と表現しているのかも知れない・・・・

我家は、何時も事件が発生する・・・・毎日がまさかと言うことの連続・・・・

しかし、当然、起きるべきして起きている・・現状・・・・・・・自業自得と言う事に成る・・・

親族等でも、怪我、痴呆等々の、処理が迫っているし、我家も父の事が有るし・・・妹も病を患ったらしい・・・・・

誰かが、後の処理、手を出す事が必要に成る・・・・この誰かが問題・・・素直に自分だと思える、心を持ちたいと考えるが・・・私には力も勇気も不足している・・・・

しかし、私がどうで有れ・・・問題は待ったなしに来る・・・・・

つくづく、色んな勉強の不足だと考えている・・・・何故なら、問題から逃げる、方向性を模索する方向に意識が向うから・・・・

やはり、三流以下の市民レベルには仕方が無いのかも知れないが・・・其れでも責任は有る・・・

無い力を振り絞る事に成る・・・・

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