2017年6月26日月曜日

ドリフトの凄さ・・憧れ・・・

ドリフトに対しての憧れで、RCドリフトを私は始めた・・・・・


この憧れは???・・・と、考えると、凄さが有る・・・・何故凄いと考えるか、難しさが有るからと私の場合成った・・・

之が、ドリフトに対しての私の、考えになる・・・

しかし、一旦 取り組むと、楽に簡単に・・この方向を何故か私の場合、求めてしまった・・・

難しいと思って、初めて・・・・・初めて結果、楽に簡単に・・・この心の変化が、私の不甲斐なさに繋がる・・・・

勿論、RCカーの経験は有るし、それ以上に難しいと覚悟を決めて始めた筈・・・・

しかし、何故か、セットという魔力で、簡単に楽に、走る車を目指しだす・・・

この基準に成っているのが、自分自身の操作技量に合わせる方向・・・・


この基準の技量が、高い又は間違った操作をしていないと言う前提なら解るが、この前提の無い、ドリフト等、無知な人間が、自分のレベルや操作に疑問も持たず、自分に合うセット、其れも楽に、簡単にを目指す・・・・

之が異端児と言われる、私の、初期の対処だった・・・

結果は何度も書くように「田舎の山猿」と言われる、無謀で危険な操作・・・走ってナンボ・速くてナンボ・飛距離が長くてナンボの世界と勝手に考える様に成っていた・・・

この時点で、初めのドリフトの素簿さ・・・憧れの、操作の難しさを捨て、楽に・簡単に形を得る方向に成っていた・・・・

よく考えると、操作の醍醐味の求め方が、最初と違う事に成る・・・他比する車との勝負、それ以外は考えてないし、勝つ為にはと策を考える、勿論、自分の操作技量の範囲で楽に・簡単には保持したまま・・・・

操作自体の醍醐味より、人に勝つ為の、醍醐味が大事に成っていた事に成る・・・・

結局、操作する、走らせる、この単純な事の喜び等々を見失い方向に成った・・・・


今回、コースに伺い・・・・見学だけで、約4時間コースに留まった・・・・何故か????・・・・・・観ていて、楽しいと思えたからに成る・・・・以前も書いているが型走り等の車が勝手に走っている、この様な車は、2.3週、観れば飽きる・・・・・しかし、常時コントロール方向の車を観ていて、飽きないし、その時々の操作の違い等々で挙動が出来るし、その挙動が又、色んな意味を表現している・・・・

コースは一刻・一刻変化している、この変化に対応させる、その為には、色んな変化を常時させ続ける事が大事になる・・・・

動きに人間性が出る方向に成るし・・・個性が見え出す・・・・之が見ていて飽きないし、一刻の状況で、どう処理するか、之も見ていて楽しい・・・・

結局は、何事も無いように見えるが、之を見せる為の努力が、見える事に成る・・・・

この部分は何故起きるか・・・・・之が問題だし・・・勉強と考えている・・・

ドリフトは見せる競技とも言われる・・・・掴み派手さが有っても、見ていて直ぐに飽きる、之も掴みが有るので、正しいと成る・・・・逆に掴みは弱いが観だしたら飽きない、この走法も有るはず・・・・

この部分が、最初に書いている、ドリフトに取り組んで際の、考え方になると私は考えている・・・

方向性を変えてから、ドリフトの面白みを強く私は感じる様になった・・・勿論、人から馬鹿にされても、面白さが勝つ為に、止められない方向に成る・・・・

ドリフトの難しさへの挑戦、之を続ける事が、面白さを続ける秘訣だと今は考えている・・・・

10年近く、RCドリフトを続けて・・・ヤット、初期に感じていた、ドリフトの凄さ・憧れを、解ってきたし、そのシャーシがSAKURA D3 2駆に成る・・・・・

誰しもが、簡単にグリップ走行は出来る・・・・・後は腕でドリフト・・・・勿論、予想するように難しい・・・

この挑戦が、ドリフトの凄さの意味だと最近は考える様になった・・・・

簡単に誰でも出来る・・・特にお金さえ掛ければ・・・この流れなら、ドリフトに取り組む意味も無いと言う事になる・・・・

又、この方向性を意識している様な、言葉の表現が非常に多い世界がRCドリフトの世界・・・・今のSAKURA 2駆なら、一流のドリフターなら腕が有るはず・・・・誰しもがドリフトできると考えている・・・・・

勿論、三流の私には、難しいが・・・・

仮に、三流・二流・一流のレベルの違う人達が、同じ車を操作して、全てのレベルがそれなりに走れる車を良い車と評価するから、技量のレベルの差が要らないと成る・・・・
数ヶ月の経験で、大会等で優勝之もありえる世界に成る・・・

経験値、年期が意味を成さないと成れば、レベル等々言える環境で無く成るし、肩書きが優先する世界になる・・・・簡単に書けば、肩書きがレベルと言う事に成る・・・・

楽だ簡単な車・・・之なら誰しも走れる・・・特に趣旨に拘った車なら、その趣旨の走りは簡単に出来る・・・その趣旨と、大会の趣旨が合えば、優勝する可能性が出るという事に成る・・・・

三流の私も色々試乗させてもらうが・・・よく走る車が多い、しかし、飽きる・・・この様な車を一流の人はどう考えているのか・・・モット、楽に簡単にこの形に勝手に走る車を支持するのか・・・

私はその方向性が解らないので、良い車ですね~~で終わる・・・・

車作りは自分の為、この為だから如何するかが、大事に成る・・・・人との対比なら、結局人の為に行っている事に成る・・・・勝つ為には手段を選ばない之が、人の本性でも有る・・・・

何をドリフターを求めているか、言葉なのか、本性なのか・・・・

勿論、色んな車の個性の経験が一流の人は有ると思う・・・・全てが正しいしRCカーに成る・・・唯、言っている言葉の表現に、どれが近いか等々は少なくとも解るはず・・・

この部分が言葉との整合性になる・・・・・之が保たれていない状態でも、初心者は信じてしまう・・・・

この証拠が、過去の私の動画のコメントに有る、定常円は・パンと振って・止まりかけたら、又パンと振る、この大きな脈動が定常円だと、コメントしてあった・・・定常円はスムーズに出来れば一定の回転域で、旋回を続ける、之も定常円と私は考えていたが・・・

等速時代から、ケツカキへの移行時にはその様な、コメントも有った・・・・その人の環境では、RCドリフトの定常円がその様な形が、当然・又は一流といわれている人がしていた事に成る・・・・

他のコメントでは、非常に面圧が高いように見える、又タイヤが食い過ぎているとの指摘・・・・
仕様をコメントしたが、その後、返事は無かった・・・・車の重さ、キャンパー角・ヨコモのゼロワンRをコメントした・・・・

コメントされた、人の環境では、定常円はス~~~~と滑らせる挙動が無いアメンボーの様な動きが当然だし、当たり前、勿論、一流の人がしていた事に成る・・・
ゴリゴリ感の有る、定常円等有り得ないと思われた為のコメントと私は考えている・・・・

環境が、価値観を作る場合が有る・・・・・・その環境で、正しい、間違いの基準まで、影響される・・・・

現実に、非常にぶん回す人に、何故、アクセルを引いて車は走らせる???と質問すると、アクセルを入れていると強く、否定される・・・・しかし如何見ても音で回しているポイントは解るがその音が出ている時は失速して、車は走っていない・・・しかし、その後アクセルを抜く方向にされると車が一気に凄い加速を始める・・・この操作を観て、私は、引く側で車が走っていると思うが、等のユーザーはアクセルを入れて走らせる之がドリフトと、回りに風潮されている・・・・

其れなら、ドリフトの醍醐味はドリフト中になるので、その部分で、音を出し続けてと言うと、何故か怒られる・・・ストレートで車の挙動に余り影響が無い部分で回されているので・・・ドリフトを強く主張されていたので、お願いしたが、このお願いで怒られる・・・・

ストレートの侵入部分の未だ速度に乗っていない状態で、凄い音、その後は無音に近い、本来ドリフトは後半のアピール・・・・しかし、何故か前半のドリフトに余り関係が無い部分での大きなアピールが有る為に、逆に意外感を私は持つ・・・・

結局は、観て覚える、この為に環境が大きく影響している事に成る・・・・又、素人さんや初心者さんは、有名で一流という人の言動に影響を受けやすい・・・・・

之を色んな事で、証明している事に成る・・・・

先ずは、自分が下手だと自覚し、練習を重ねる・・・一流の人とは違う、今部分から始める事・・・

一流の人の車はレベルが違い過ぎて扱えない・・・・自分のレベルに合わせた車を作ることから始まると私は考えている・・・

若し、超一流の人の車の試乗が許されるなら、礼儀と配慮で、凄い車ですね~~~私の技量だと扱えませんが、本来の答え・・・・若し、之が逆に、簡単に凄い走りが出来ますね~~~と成ったら、無礼に成る・・・・

車のセット、メカニックでは無い・・操作・走らせる方での一流に対して、如何対処するか・・・

之も、RCドリフト界の対応を見ていると、逆に本音が見えて面白いと思う・・・・







0 件のコメント: