2016年9月5日月曜日

羨む

嫁が、病院から帰ってきたが、そのまま・・・・母家で、安静にしている・・・

台風の為に、下の子供達は、休校で家にいるが・・・・お腹が減ったと、合唱中・・・・・

近所のスーパーから、弁当を買うように促したが、ふてぶてしい態度・・・・・

一番、下の子も、中一・・・少しは変化が有るかと思うが、中々、成長が無い・・・

考えてみれば・・・就学前の価値感のままに成長しているし、その価値感を伸ばす為の、勉学だと考えている様だ・・・・・

「羨む」と言う、単語が有る・・・・心が病むという意味も有る様だ・・・・・しかし、他人がしていることを、求め欲しがる、心が、羨むと言う意味が今は一般的・・・・

この求め・欲しがる・・・・之は心が発する部分に成る・・・・その人の考え方、しいては価値感に成る・・・・

本来、私は、価値感は変化するものだと考えている、この変化をもたらす部分に、学校での勉強や友達との集団生活が有ると考えている・・・

その為に、就学前の価値感と・・・・就学後の価値感とは変化が有るものだと考えている・・・特に,大学迄、卒業すれば、年齢も成人を超えるし、大人の価値感に成っているはずだし、価値感も自ずと変化していると考えている・・・・

しかし、我が子、だけに限定すると・・・・三十を超えた子供達も、就学前の価値感の延長線上に居る様に見える・・・・

余りにも、行動に対して考えていない・・・・・・幼い頃は、美味しい物と、不味い物を選ばさせれば、考えもしないで、美味しい物を選ぶ・・・若し、それを手に入れる事が出来ず、他人が其れを手に入れれば、羨む・・・・此処で終るなら良いが・・・羨む心が、行動として「ダダを捏ねだす」・・・・

この時点で、考え出す・・・・何故・手に入れる事が出来なかったかを・・・この時点で、自分外に責任転換をすれば、結局、他人を怨む心が出て来る・・・

怨む心が、行動と成り・・・・どうなるかが問題に成る・・・・

この時点で、自分に問題が有ると考えれば、努力もする・・・その一つが勉強・スポーツに繋がって行く・・・・

しかし、この流れも、結局、優劣を創って行く・・・・・

私は、心が発する、心の変革が大事だと考えている・・・・羨む、之も心が発している・・・・

この心が発する、思いが、何故、一緒なのか????之も、疑問である・・・

人は、完璧で無いと言われている・・・・・この事は、欠点や不利な部分が多々有る事に成る・・・

この部分を、仮に不と限定すれば・・・・・不が有る事は、良いこと・悪いこと・普通の事・・・この三つでどれかに成るかに成る・・・・私は普通の事だと思うし、何も恥じる事は無いと考えている・・・・

唯、問題が、不が有る事で、人を羨み・・・・最終的には怨む・・・この部分は問題だと考えている・・・・

羨み迄は、まだ、努力等の部分が有る・・・・・しかし、怨むまで成れば、怖い・・・・


羨む命は大事だと思うが、その後の対処、考え方が問題に成る・・・この部分が、良い方向に向わない私みたいな人間の場合・・・・・羨むこれを無くす事だと考えている・・・

今の世界、何故か羨ませる立場に成りたいという人が何故か多い・・・結果、見栄を張る人も出て来る・・・・・・結局は、実在が無い、格好だけという生き方を望んでいる事に成る・・・・

この生き方に、何故か、我が子も向かっている感じがする・・・・

確り、大地に根ざす・・・この努力もしないで、直に羨ませる様な花を目指している・・・結果、目的を果す事が出来ず、環境を怨み、消えて行く・・・・

この怨みが残した財産で、得している人まで昨今では出て来ている・・・・益々・怨みが増す方向に成る・・・・・

本来、一番大事な人と生きる基盤である、価値感の勉強を努力をしないのかと思う・・・・これが大地に根ざす意味も有るが・・・・

ある人が言っているが・・・「人生の花を咲かせる為に頑張っている」・・・この言葉を考えれば、花が咲かない可能性が固い・・・その為に頑張ると言う、動詞が付いている・・・・
簡単に、花が咲けば、人生の面白みも無い・・・・・咲かなくても人生という覚悟が有る・・・・

結局は、出来ない・その為に、淡々と続ける・・・これが大事だという事に成る・・・・・

若し、私の子の様な、価値感なら、何時も晴天の中を歩く、之が幸せと考えている・・・・曇りなど認めないし、不幸と感じると思う・・・・その様な時に、若し誰かに責任転換すれば、怖いと考えている・・・・・之こそ天変地異を起す、心が暴れだす・・・・・

結局、幸せを望み過ぎた、結果が・・・・・最悪、悲惨に繋がって行く・・・・






0 件のコメント: