今度は、我が地域・・・九州に台風が近付いて来ている・・・・
今度の日曜日は、地域の公民館・お宮・納骨堂の清掃等の行事が有るが・・・可也、心配に成って来ている・・・・
九月は、お彼岸・敬老の日等・・・色んな行事がある、その前準備が必要に成るが・・・天候で左右される・・・・
又、学校も始まり・・・・地域から子供達の姿も消え・・・子守に対する神経も少し休まる時期でもある・・・・
どう・・・・地域社会と共存できるか・・・之も問題に成る・・・・
又、地域の重鎮と言われる立場の人達の年齢は、私の親の世代に成る・・・・・戦前・戦中・生まれた人達になり・・・・・今の若い世代との、価値感の相違が多い・・・其れを、我々の世代が、緩衝材に成って、事を丸く治める立場に成っている・・・・
しかし、現実には、価値感の相違が、広過ぎて・・・緩衝材の立場も可也、キツイ状況・・・・・
親達の、価値感だと、考えられない、恥にる事が、今では当然と言う時代・・・・
結局は、家の中でも緩衝材の役目が非常に大事に成っている・・・・・
之が出来なければ、老いた親を残して、別に暮らす方向に成る・・・・又、この様な状況が増えている・・・
結局は、親は、子供に頼らなくても、色んな行政機関のホローが有ると思っている・・・その為に、強く、対応する・・・・折れる事を知らない・・・・・
しかし、その思いの様に、現実が成っているか????・・・・成っていない為に・・・問題に成って行く・・・・
終戦後・・・行政サービスが拡大して来ている・・・・之を、基準に自分の立場を考える・・しかし、都合が良い部分は、昔の価値感・・・・
家の長は、王様の様に振舞えると思っている部分が強い・・・気に入らない人は要らないこの意識が強くなれば・・・家の中も問題が増えて行く・・・・
この家が、多く集り、地域になる・・・・・地域の問題も似ている事に成る・・・・
結局は、長やリーダーの捉え方が、間違っている事になる・・・・・しかし、現実は気付いていない・・・・・
この部分が、一番の問題だと私は考えている・・・・・長・リーダーは偉いと考えているが、努力・頭を垂れる等々が、しないで良い立場という価値感が有る為だと私は思っている・・・・
よく、耳にするのが、自分が偉いから、何故頭を先に下げる必要が有るか・・・等々の言葉を聞く・・・・この価値感が、私は解らない・・・・
座る場所さえ、一等席に行こうとする・・・・何故、下座を選ばないのか???・・・・座れるだけでも感謝と成らないのか????・・・・・
偉いと、我侭が通るという意識も強い・・・・・こうなれが、裸の王様になる・・・・・他人で有れば、勝ってにで済むが・・・・・影響する人なら問題になりだす・・・
逝った母が、言っていた事だが「男は頭を持ち上げようとするな」・・・「人からこなされ続ける生き方を求めろ」・・・・・之が、「犬の糞の高上がり」に繋がる・・・・
結局は、教育に成る・・・・如何育てられたか・・・・地域社会や家庭の環境でも決まって来る様だ・・・
問題は、解決する為に、ある物・・・・・・問題が多い事は、解決する事が多い事に成る・・・・この処理が、生きる意味だと私は考えている・・・・
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