2016年3月19日土曜日

しまった・・・寝坊・・・

寝坊してしまった・・・・・

結果、誰も居ない・・・・・・・嫁と五男はドッチボールの最後の試合に行っている・・・・

長男は、夜勤で居ない

三男は仕事・・・・四男は、バイト・・・・

私は、お留守番・・・・・・

不安が過ぎるが・・・・・事務所に行って見た・・・・

コンビにおにぎりが2個・・・・机の上で神々しき光って見えた・・・・家族に感謝・・・・

私の事を忘れていなかった・・・・嬉しい・・・

持病の薬が、食後・・・・何か食べてからでないと、飲めない薬・・・・・

家族との配慮が、この歳に成ると、嬉しい・・・・微々たる事かもしれないが・・・・家族と言えでも集団生活・・・・・配慮する事は大事・・・・又、配慮に気付く事もそれ以上に大事に成る・・・・


当然と思うと、感謝の念が出難い・・・・・又、当然という部分は何かを基準にしている・・・その基準が正しいとは限らない・・・・・


基準の正当化を重視しだすと・・・・息苦しく感じる人も増えるし、逆に、この基準を元に排他的、考えも出て来る・・・・・

人は、基準・決まり等々を決める事は、好きだし、直にイメージできる・・・自分自身の価値観の範囲で決めるために、同じ価値観の人を求めて、決めて行く流れを作り易い・・・

若し、決める立場の人の価値観が狭い人だったとしたら・・・・・之は怖い事に成る・・・・


要はリーダーと言われる人のレベルで決まる事になる・・・・・

結局は、リーダーを育てる等々をしているかが問題、育て排出する・・・・この流れが無ければ、ある日、何処の誰かも解らない人がリーダーという立場に居たりする・・・・

家族の中での父親も同じだと私は考えている、父親に成る、勉強をしているか、学んでいるか・・勿論、其れと気付かせないで、社会が父親として育てているか・・・

若しこの作業を社会が放棄していれば、父親・母親と言う部分も各自の価値観だけの範囲で判断し衝突を起して、家族崩壊方向に向う・・・・

現代、情報等々は多い、その為に、知識を得る事は容易い・・・・しかし、逝った母が言っていたが、人として大事な部分の一つに、知識を、吸収して、その結果、知恵に変えて行く、
知識者は単なる増上慢・・・この見え方は格好よく見えるらしいし、表面的、人からの評価も良い・・・・・・注意が必要という事・・・
大事な、知恵者に成る・・・・しかし、良く見られないらしく、批判が集中するらしい・・・・

人は何を目指しているか????・・・・しかし、生物としての基本を脱して人としての存在は無い・・・・この事は、生老病死からは、離れる事が出来ないし、この部分を確りと自覚して、目指す部分を探す事に成る・・・・・

母から、色々教わった、その事を私の子供にも伝えて生きたいが、現代の子供達、難しいが、之が私の、責任と考えています。

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