父の一周忌になる・・・来月、法事を行うことにした。
当然、準備が必要だし、その為に、今日は、時間を作って行動を開始している。
己が棺桶に入るような状態に成った、人間が、法事を主催する・・・当然の事だが、本来、下働き等が、居ても不思議で無いし、五人の息子達を 育て上げているので、当然、何人か居ると言うのが、本来の姿と私は思うが・・・育てた私が能力不足だったので、その様な後継者を創ることが出来なかったようだ。
要は、己で棺桶に入る、自動的に火葬されるシステムを構築しないと、今後、大変な事に成ると思う。
後片付けをしてくれる人材・後継者も居ない・・・生きた意味が何だったのか????と、今、疑問を抱いても遅すぎるという事にも成る。
要は、宗教界でも、「生老病死」は四苦と言う・・・苦????・・・私は解らない・・同じ、命の虫・犬・猫・この四苦を悩み、苦しんで生きているのか????その様に見えない・・・人間は、若い人は同じレベルだと見えるが・・・高齢になると、見え出すのか、悩む問題に成るし、この問題を解決するために、宗教界が利用していると言うより、頼られている。病に成らないように、老いることが無いように、最後に死なないように、祈る人さえ居る。
不思議と思う。四苦を学んで居ているのに、如何しても避けられない事・・・・神や仏でも、キリスト・釈迦でさえ、死んでる。
私は、四苦と表現するより、四つの必然・・・と捉えている。
必然・原理原則なので、どなに優秀で一流でも、避けることが出来ない、此を、劣っている私が、避けることが出来野か????不可能と思う・・・当然・必然だから、その前に準備と覚悟を整える作業を行うことだと私は考えている。
元々が、肩に障害が有り、今、体中が痛む・・・特に肩と成るが、必然だし、当然の事と、慣れる事に今は、勧めている。
勿論、耐えきれない痛みも有るが、耐えれる間は、私の許容範囲という事この部分を拡張する、此も今後の私の課題になる。
治る病気では無いので、共に過ごすことになる、当然、私の寿命が尽きれば、痛みも感じないと思うが、その状態には簡単に成りたくない・・その覚悟、準備が出来ていないと言った方がよい・・・・
結局は、思うように成らない、結果、私の精神力の器が試されている事に成る。簡単に降参はしない・・・
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