最近の行動・・・除草剤散布・・・・一時間程・午前中に散布を行ってきた。
勿論、沿岸道路の側道に成る。
嫁からは馬鹿と言われるが・・・・自分事だけに生きても、私は生きたと言う実感が無い・・・・犬・猫さえ、己の為に生きている・・・又、生物なので、子育てにも必死に頑張っているのが、畜生と言われる立場の生き物に成る。
勿論、私にも畜生の命が有る・・・しかし、見かけだけは人間として生まれたら・・・少しは犬・猫と違う、振る舞いが出来ても良いと考えている。
己の為と言う、範囲でしか価値観がないなら、人で無いと私は考えている。
何故、生物界でトップと言われる、人間の姿で生まれたのに、己が生きる為に、必死に苦労も重ね生きなければ成らないのか????犬猫さえ・・自由気ままに過ごして生きている。
人間に生まれた意味が己で完結しているなら、無いと私は考えている。
己の振舞いが、どう他に影響するか???出来れば、良い方向と私は願っている。
人間なら、己だけの事なら、犬猫より、楽に生きれるはず・・・・汗を流し、苦労と思える行動をするなら、他の為と思わないと・・・利己中にドップリ浸かる方向に成る。
利己中に陥っても、己は????・・・幸福感が無い、その為に、人から羨ましがられる方向を目指す・・・又、己の命は???・・・考えていない・・・多々、得ても、己が死ねば利己的価値観なら意味が無いと成る。
私は、何故、汗を流すのか???無理をするのか???他が喜ぶならと言う思いが有るからだと考えている。
この思いが無ければ、命がけの振舞い等々出来ないと成る。
仕事とは、他の為の振舞いと考えている。
己の為だけなら、何度も書くが、私事に成る。
生きると言う事も私事に成る・・・・・犬猫も、自由気ままに生きている。畜生レベルでこの状態・・・・人間なら・・・苦労や汗を流す必要も無いと思う。
勿論、畜生以下なら・・・犬猫レベルに達する為には、汗も苦労も無理も必要と言う事に成る。餓鬼レベルと言う事に成る・・・子供の貪欲、我欲の深さ、それを汗も流さず、上手に手に入れる之しか、考えていない・・・この様な立場は、与えられる立場・・これが普通と思っているなら、生きる為に、少しの行動をしても苦労と思うし、キツイと捉えてしまう事に成る。
若し、畜生以上のレベルに人が居るとするなら、己だけが生きる事は、楽で幸せの筈。
この部分を得る為に、苦労や無理等々しても、意味が無いと私は考えている。
勿論、人と言うレベルに居るならが前提になるが・・・苦労しなければ、生きられないなら死んだ方がマシだと言う事にも成る。
嫁は、私の行動をバカな行動・・苦労する振舞いだと思っている。
しかし、私は、楽しいし、面白いと思っている。
又、見聞が広がり・・・新たな部分も見えてくる。
今日も色々、発見できた。側溝が泥で埋まっている・・・その泥に根付いた草が丈高く茂っている。その間を見れば、多くの空き缶・ペットボトル・コンビニ袋にゴミを入れた状態で、落ちている。
之を行ったのは、犬・猫????・・・人間だと思うが・・・レベルは、畜生より低い、餓鬼レベルと言うより、それ以下の地獄レベルと私は思う。
その様な振舞をしている人は、当然、幸福感を常時得にくい価値観の筈・・・全て問題は他に責任転嫁を行って、己は被害者と思い込む、傾向が強い人に成る。
しかし、社会と言う集団の中では主体者に成りたいと言う欲が強い、当然、成られないので社会に不満や恨みを多く持つことに成る・・・・
哀れな生き方だし、当然、毎日が苦しいと思う・・・その捌け口を色んな振舞で起こしていることに成る。勿論、社会に対して、反の方向に成る・・・恨みが有るからに成る。
本来、日本人は、家の為に生きる・村の為に生きる・・地域の為・国の為と言う思いが有った・・・己が良くなるより、家が良くなる事を喜ぶ民族だった。
しかし、個人主義の台頭が始まった・・・自由の捉え方を変えたことに成る。
生きる、場所が有り、その時が有り・・と・・・言う環境が前提に有っての、自由・・・当然、自由を謳歌したいと思うなら、先ずは、環境を整える事が優先される。
この部分を教わらない、自由の暴走が始まった・・・結果、纏まりが無い事を自由と言う事に成る。
家庭崩壊・クラス崩壊・当然、家の崩壊・地域社会の崩壊・・・最後は、国の崩壊・世界の崩壊・地球の崩壊と成る。
先ずは、己の足元に感謝し、その恩に応える振舞いが出来るかに成る。しかし、現代は、己の足元を恨む・・要は足元を壊す振舞いをすると言う事・・・
どうなるかは、予想が出来ると思う。
家庭が有る、足元を壊す人が居る、それを阻止しようとする人が居る、バランスしている時は家庭の存続が出来るが・・・若し、足元が崩壊したら・・・家庭も崩壊すると言う事に成る。
人として、多くの守るべき部分が有る。義務と責任が有る。これを行えば、自然として人として生きれる様に成ると私は信じている。
人として生きれれば、当然、喜びに満ちた生き方に成る。
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