家族を固持する。家を固持する。一族を固持する・・・・等々、固持と言う単語が有る。
難度か、決して負けないと私は書いてきたが、勝必要はないと考えるが、
最近の考えは、最善の守備は、攻撃である・・・この言葉が示す方向に向かっている。
教育も、勝、これが正しい方向を示す、最善策と教えている。
当然、勝てば、力を後ろ盾にして、楽に、富を得れる・・・この富が幸せと考える、価値観が有る限り、この方向性は続くことに成る。
例として、政界中で、同じ、能力で、物を作っても、対価が違う・・・日本国内では、同じ、対価を目指しているが、世界では、格差が有る・・・
何故あるのか・・・最終的に、総合的な強さに成る。
力あないから、多々の汗を流しても、対価が少ない・・・之が有る限り、勝之を求める方向に成る。
当然、正々堂々と勝つ・・・・この部分は精神論に成る、現実的には、どんな策でも勝てば、勝ちと言う方向の方が、楽なので、進む事に成る。
要は、道徳が有るから、負けるとなる。この流れの世界なら、日本国でも、道徳教育は無視される方向に成る。
現実主義と言う事に成る・・・現実が地獄なら、這い上がる為には、人を踏み台にしても這い上がる、これに疑問も持たない・・・この様な人が、上へ上へと上がる人たちに成る。その人達を現実が地獄なら、優秀と言う方向に成る。
生命次元を落とす、この方向が、優秀と言われる方向さえあるという事に成る。
本来は、現実を変える・・・之が、人の進む道だと私は考えている。
現実の中でどう生きるか????之を模索するより・・・・今ある現実を変える。
このような振舞いをした人たちを、神として崇めている、宗教も多々ある・・・わが命を捨てて、改革を目指た・・・その人の爪の垢でも、心に有るなら、自己の振舞いも変わると思うが・・・・今の現実の中から脱する、価値観を持っていないし、自分では出来ない、人では無理と言う事で、別人格の神としている感じさえする。
仏教的に言えば、仏の命が無い、世界が、現代と成る。
ここで言う、命とは、自分自身の命、心に、仏が居なくなったという事に成る。
結果、外に仏を求める・・・之が意味する事は、上下感に成るし、上が手を差し伸べて助けてくれるという、他力本願の価値観に成る。
勿論、現実社会から脱する事は、不可能だし、現実を変えようと思うなら、現実の中で、生きる事に成る。
間違っても、違う場所を求め、それもユートピアと言う場所で生きる、自己本位的、環境を求めれば、今の宗教界に成る。
目の前の現実の根源的、問題点は???・・・答えが解れば、それに対して、行動する事に成る。
この部分の変革、意識が無ければ、上辺の問題だけに、振り回され、今の損得勘定の、価値観で、判断すれば、先に書いた、ユートピアでない・・この環境から出る、この流れに成る。
之が、家族の中にも浸透すれば、家族崩壊に成るし・・・夫婦間に成れば、離婚と成る。
大きく言えば、国の崩壊・・・別の国へとの流れに成る。
若し、文明が進み、他の天体に行く事が可能に成るなら、宇宙に悪く書けば、逃げる事に成る。
本来、勇気ある行動・挑戦なら、その目指す場所が、地獄以下かも知れない覚悟が有る。
原状より、楽に富を得れるという、我欲で、動く、行動は、挑戦とは言わないと思う・・・
人には、鹿野の人の、思いがDNAに刻まれていると私は考えている。
結果、家の成り立ち・・・国の成り立ちで、その人の個性・方向性も有る程度、決まっていると思う。
世界の中心的、国の価値観が、支配しだす。その価値観とは?????・・・国の成り立ちを学べは、およそだが見えだす。
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