2019年1月26日土曜日

三流には限界が有る。

日本国は、一流や優秀な人が多々おられる。

しかし、少ないと思うが、二流や三流の人も居られると私は考えているし、私も三流も四流に近いレベルだと、自身を考えている。

色んな、価値観・レベルの人と共に生きる、之が社会に成るし、当然、家という単位でも同じなのが、現代の様相だと考えています。

家族で有っても、価値観が違う、レベルも違い、立場も違う・・・・・

当然、社会に成れば、この違いの差も大きくなる中で・・・共に同じ時代を生きる。この許容力・対応力等々の、器が、私の場合、先に書いた様に、三流の為に、狭い・・・・

幅が無い為に、自分のレベルに当然、狭い範囲の人達だけで対応出来ずにいるのが、現実に成る。

この狭さに、何時もダメだ・このままでは悪魔的、小さな独裁者と言う方向に進むと、反省を募らせている。

自分の弱さ、之を感じるから、三流だと、自称している。

要は、色んな価値観が有る、現実社会では、思いは有っても、何も出来ないダメは人間だと思っている。

又、個人の人権や自由と言う流れが、何故か、価値観の多様化と言っても、人の悪い部分での我欲を求める、之も認める世界に成っている為に・・・・正直、人と共に生きる、之が眼中に無い人も増えている、自分さえ良い、之を求める人も増えている。

この様な社会で、どう共に生きる・・・之を遂行できるか????之が難題に成りつつある。

何時も書くように、三流の私が考えるより、一流の優秀な人が多い、日本国・・・この様な立場やレベルの人が、確り、振舞っていると信じているが・・・・

若し、この一流等の、意味が、自己本位で、利己に生きる、之が長けている人を言っているなら、怖い、世界に向かっている事に成る。

私は、この地で生きているし、この小さな社会で生きている・・・当然、家を中心に生きているが、それでも色んな、人と縁して生きている。

この人達と、共に生きる、この意味を考えると、私の能力だと、限界が・・・・この限界を認めきれない自分が居る為に、もがいているのが現状である。

しかし、このもがきが悪いとは考えていない・・・・もがく事が出来る、之も幸せだと考えるようにしている。

最近は、正邪を論じる、それも限定的に、之が増えている感じもする。何に対して、又は色んな環境立場で変わる部分と私は考えているが、この部分まで、一極主義が台頭している感じさえする。

単純な、正邪で人を、切る、この様な世界に成れば・・・三流の私は、当然、切れれる立場に成る。

怖いと考えています。

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