商工会の保険屋さんが来訪・・・
通院見舞金・・・一律に成るが・・・手続きに来られた・・・
焼け石に水みたいな金額に成るが・・・金欠の私には有り難い・・・又感謝に成る。
不思議な事に・・・全盛期でバリバリ稼いでいた時は、色んな保険に加入していたが・・・殆ど使う事も無く・・・経済力に合わせて、保険見直しを嫁がした後に・・・何故か、病院との縁が増えたし、今回の事故・・・・
保険会社もプロである・・・保険が必要性が少ない年齢等では、儲かるから、安く設定が出来る・・・
逆に、高齢に成れば、病気や怪我も増えるし、その加療時間も増える傾向が有る。
この部分に成ると、保険会社もこの様な部分の保証を少なく、死亡と言う部分に趣旨をもって行く傾向が有る様だ。
保険会社も、営利目的の会社だし・・・仕方が無い部分と思うが・・・・本来保証が厚く必要な時に無くなる・・・変な時代だと思うし・・・・
母が加入して居暮れた、昔の保険をそのまま、加入を続けていれば、良かったと、今に成れば思う・・・
嫁も目先の支払い等々の、カタログスペックで判断してきた結果が、今に成っているが・・・之も仕方が無いと私は考えている。
昔から、心身損害保険は大事だと言って居たが・・・・・・この部分を最初に、打ち切っている。
人は間違いを起し、失敗もする・・・又人は背中に色々担いでいる場合も有る。その背中の人を守ろうと、逃げようとする事も有り得る・・・・
個人としては、良い人だし、正直な人でも・・・環境や、背負っているものの違いで変化する・・・之は個人が悪い・良いと言うレベルでない・・・
結局は、筋書き通りに物事が進む事は無いと言う事が、前提に成らざるおえない・・・・
しかし、自分が考える、筋書き通りに成る、之が自分の力等々と思い込み・・・この部分を考えなければ、最終的に苦労する事に成る。
人とは凄い可能性を持っているし、良い方向性に進むなら、一気に良い方向に進む様に見えるが・・・現実は、人は独りで無いと言う事を確り、認識が居ると言う事に成る。
その為に、昔は人の評価以上に、家の評価をしていた・・・人として子供も居る・青年も居る・壮年も居る・高齢者も居る・この一括り、家を最小単位で評価していた。
家の評価が良い、家が多々有れば、地域社会も円滑に成る。
勿論、単位が家・・・責任者はとなれば、家長になる・・・・この家長が有るまり、地域の話を決めれば、全てが適う・・・・100世帯位の地域だから、100人の家長が集まり決めれば、こと済む事も、最近は、個人に成りすぎて・・・数百人の意見を聞かないの前に進まない時代に成っている。
纏まる話も纏まらない・・・・
個人主義が良いと、現代は成っているので・・・この方向性にドンドン向う・・・・昔は、会社が社員個人の問題にも責任を感じて居たが・・・・現代は、この部分も無く成って来ている。
会社では、社員教育はするが・・・人としての教育はしていない事に成る。
営利目的の会社・・・当然、利や得を善と教える・・・不や損を悪と教える・・・・
この事は意味する事は、会社にとって、不や損と思われる社員やいら無いと言う事にもなる。
之を、人間社会に当てはめると、当然問題が出て来る。
授かった自分の子供まで、この価値観で考え出せば・・・怖い事に成るし、その様な環境で育った子供が、社会に巣立って行く流れに成る。
結果、不や損と思われる、立場に成る事を個人として一番嫌う、又は怖がる流れが出て来る。
之が現代に成る。
個人主義と言っていても、人目を気にし、嫌われる之を怖がり・・・中途半端で一生を暮らす・・最後はゴミみたいな扱いを受けて・・終わる・・・・
人は機械では無い、長け続ける時も有るし、劣り続ける時も有る・・・・その為に、小さな集団としての家が有ったが・・・この家と言う、単位や価値観が無く成って来ている。
私たちの歳位に成ると、終活の事を考える時期と言われるが・・・本来、家単位で物事を進めていれば、考える人用もないし、その生きた人生が、終活に繋がっている筈であるし、その姿・振舞いを構成者も見ている筈・・・・
結局は、現代は不や損と思われる部分は見せないで居る為に、その時期に成ると急に問題に成り出す。
社会人として出なく・・・基本は、人としてどう生きたかに成るし・・後継者にどう見せたかに成る・・・
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