毎日・・・朝は、激痛との闘いが始まる・・・・之も気のせいと、笑われレベルに私が達すればと思っているが・・・・
中々、難しい・・・・
又、痛むと・・・頭が暗い方向に志向しだす・・・之も問題・・・・
一日の出発で・・・この方向性は良いとは思わない・・・・
嫁も一所懸命に、日々の生活を取り戻そうと頑張っているし・・・・・・・・・・・・
嫁も本来、若嫁が側で頑張る、この年齢に成っているが・・・誰も、側に居ない・・・
将来の老老介護が予想できる。
長男は、頑張って、来ているが・・・・無職で、お金が欲しい、この目的で来ているし・・・
逆に、私が気を使うし、疲れる・・・・・
下働き・・・・ぼろくそ言われても、頑張る、この思いが無い・・・・働いた対価を得れば、下働きとは言わない・・・・この部分も、現代の子供達は解っていない・・・・
家の為と働く・・・この部分に対価を求める・・・之が現代だし・・・今の価値観に成る。
勿論、対価・・・この価値を見出せれば良いが・・・・村の行事・文化等に、価値を見出せないために協力できないと成る。
この部分が、有るので、昔は、下働きと言う表現で・・・・何も獲る事は無い、仕事、しかし、その中で価値を見出せという意味が有ったし、若い者は下働きを率先してする、この様な流れが有った。
対価を見出せない時は、したく無いと言う思いが強いが・・・それでも、続けるように、回りが叱咤・・・この繰り返しで、知らず知らずに対価を見出せる形に成る。
要は、行動・経験の中から見出せる対価が有ると言う事。
行動で学ぶ、勉強と言う事になる。
私は、世の中には多々の価値が有ると思っている・・・之を一杯知る事が、結果、対価を得ていると思える方向に成る。
価値観の多様性を言われる現代・・・・その基本に成る、価値を、知る・・・大事だと考えているし、価を知ることは、悪いことでは無いと私は考えている。
この世を生きたという証が、この多様化している価値を知る事だと私は考えている。
知った上で、何を重視するかが、私の価値観に成るし、考え方になる。
要は大海を知る事・・・・その為には、無駄や損と思える、下働きを率先すること・・・
之が出来なければ、自分の価値観で固まり、結局その範囲で、生きる、井の中の蛙と言う事に成る。
私は無知だから、知りたいという欲求が強い・・・・マダマダ、知らない部分が多々有る。
歳が多い・・この魅力は、経験値が高い・・・・この部分が無ければ、唯の不用品に成る・・・・
薀蓄の一つも言える、爺に成りたいと考えている。その為には、多々の経験が必要に成る。
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