大阪に居る、コマッタちゃんが・・・今日も電話をしてきた・・・・・
本来、私が一番嫌いな筈だが・・・・・結局、電話をしてくる・・・・大阪でも、青年後見人を付けないと生活が出来無いと私は考えているが、自由に動き回る・・・管理が難しい為に、後見人に成る、ボランティア団体等でも、個人としては受ける人が居ないとの事・・・・
コマッタちゃん・・・・・対応が難しい・・・個人や家族での対応では難しい部分が多い・・・
24時間、張付くわけに行かないし・・・仮に張付いても、その様な人は逃げる・・・・
このコマッタちゃん・・・・母親もコマッタちゃんだったし、その老婆も4月末に無くなった・・・・知能障害の手続きも、結局、私がする事に成る。
現実に、このコマッタちゃんも、幼少期に手続き等して・・・其れなりの施設等で生活していれば、問題にならないが・・・・現に、我が子を、障害等の認定を、出来ない人も居る・・・・親が子に対しての愛情の考え方も色々・・・・
しかし、順序として、親が先に弱る可能性が高い・・・・・親が子供を守る、当然の様だが、子供の一生を守れるか?????
その為に、本来、家族が有り、親族が有る・・・・・しかし、家族の有り方、親族の有り方の考え方も変わってきている。
日本の法律には、血縁等を重んじている・・・・その為に行政がタッチ出来無い部分も多々有る・・・・完全に血縁・等が無い人の場合、行政が直動ける・・・・
しかし、血縁者が居る場合、その人の同意が要る・・・血縁等の繋がりを切る為に、相続放棄等の手続きをしないと、行政が勝手にしていると成る・・・この事を理由に、行政は動こうとしない・・・
仮に、私が、倒れ、救急車で病院に運ばれ、手術が必要となった場合、必ず、手術同意書・入院同意書等の書類を書く、人が要る・・・・之が、無い場合・・生死の緊急事態に成るまで、待つことに成る。血縁者が居ない場合は、行政が対応するが、私の場合、嫁か子供が来てくれないと、先に進まないし、親族でも・他人でも誰でもよいが、書く人間が必要に成る。
日本の、法律や行政の対応も、基本、人は性善説で、出来ている、コマッタ人を見たら手を貸す、この考えから出来ている。その為に、親族や家族の事なら尚更すると成っている。
私の子供も、当然、私が先に死ぬ・・・・私が直接関わる事も、時間的限界が有る。
又、逆に、私が子供たちから、守って頂く時も来る・・・之が当然だと私は考えている。
この事が、出来無い、考える事が無駄と成ると、生きる事に不安が過ぎる・・・・
私は、一人の人間の責任を背負うと言う事は、刺し違える覚悟が要ると思う、しかし、私にも背負っている他の人も居る、その為に責任を負えないと考えるのも仕方が無い事だと考えている。
しかし、現実には、責任者に全て押し付ける方向に成っている。
この様な、社会なら、個人でも責任の負えない・・・勿論、行政や・社会も責任負えない・・・・責任からの逃げる方向に成る・・・・・
私は、のこ責任と言う言葉が嫌いだ、お世話する・・・守る・・・之位の考えで十分と思う、この様な人が沢山、人に関る之が本来の姿だと私は考えている。
結局、責任と言う言葉で、犯人探しをしている・・・・
その為に、真心でお世話をした時点から、周りは責任者と勝手に思い込み、色んな不の部分を押し付ける・・・・その為に、お世話をする事を事態を、シリゴミする人も出だす・・・
出来る部分をお世話する・・・・之が基本・・・しかし、今の時代、お世話した瞬間から出来無い部分まですることに成る・・・・
自分の事も、出来無いで要る、私が考えることで無いが、三流以下の私でも力が有れば、モットお手伝いされたと後悔している。立派で一流を目指ししている人は、モット凄いお手伝いが出来ると考えています。
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