2023年1月31日火曜日

家族の慈愛に感謝!!

 今、私が生きられるのは・・・・家族のお陰、家族の慈愛を受けられるからになる。

私は、何度も己の事を三流や劣っていると自称するように、懲りない人間と言う事、勿論、人間は、失敗も間違いも起こす動物・・・・

何度も同じ過ちをする人間という動物という事に成る。

永久に同じ失敗を繰り返す可能性を秘めている場合も有る。それでも大きな慈愛で接してくれる・・・母や親・家族が居て、勿論、広がり地域・社会・国となれば、理想的に国家だと私は考えている。

人は、愚かで、間違い・失敗を起こす動物と捉えた人の見方・・・・人は成長し、勿論、良い方、この良いという方向も当然、誰かが創った基準に沿う・・当然、沿う事が出来ない人は????・・・努力は尽くしたが駄目だったと排除、ヒットラーのファシズムが起こした人権無視の振舞と同じ事に成る。

この部分でも損得感情が支配し、それで判断している。要は、対価がプラスかマイナスか・・・・それも、将来・未来を考えず、今までと言う時間軸で、マイナスを大きく感じたから、損切りした・・等々の理屈になる。

人をその様な形で判断できるのか????・・・勿論、商売で損は有りえないとなるが・・・・汗も流さず、利を得る此も、有りえないと思うし、絶対に損は駄目となれば、損する人達が居るから、得する人が存在する、その大事な損する人達を人として見ていないことになるし、人権無視と言っても良いと私は考えている。

勿論、色んな価値観。捉え方がある。どれが正ししかは求めているものでも変わってくる。

その為に、多々の価値観の人達でバランスが取れている世界・社会を私は求めている。

しかし、最近は、一極・この方向が正しいと言う論調が異常に増えている。先の世界大戦前に、酷似してきた。

勿論、私は、己の足下が大事だし、それ以外、考える余裕も無い、結果、強く意識していないが、怖いと感じている。

強く意識すれば、怖さが増すと思うが・・・今は己の足下、家族、広げて、近場の行政区程度の範囲しかない、情けない器の人間・三流となる。

要は、愚かで懲りない、私という存在を受け入れてくれている、地域社会・家族に感謝という事に成る、又、昔は見返りを求めて近づいた人も居ると思うし当然、それは利に成る・・・・今の私は負しか齎さない・・・この様な立場に成っても、側に居てくれる、人達が居たこと自体が、現代の社会の常識から言えば、奇跡的、有りえない事に成るし、本来は、排除され、国の保護下で孤独に生きる立場だったと思う。

全てが、今までの言動の結果・・自業自得と言う事になる。

今の私の状態を不幸と捉えるのか、幸福と捉えるのか、本人次第だし・・・何を学び・生きてきたかの一つのに過ぎない・・・

私は、一心同体を求めない・・各自違う、違うから面白い・・タダ、何の為に生きるのか???・・・・当然、己の為で終わる人も居る、他の人の為と言う人も居る。

要は、他の人を如何したいのか???・・・手を貸し、助けたいなら、己に利は齎さないし、負を背負う事に成る。

己が、利を貪り楽をしたいなら・・・当然、他人に負を背負わせ続ける事に成る。

私は前者の価値観の人が多い世界を求めている。結果、その様な人を輩出したいと思っているし、私の夢になる。

間違っても、後者の方向の人を輩出したいとは思わないし、もし、その様な人が私の側の人達だったら・・・・今の私は存在しないし、排除され抹殺されている可能性が高い。

要は絶対に負を見せられない、感づかれたら当然、全否定する・・この様な生き方に向かうことになるし、指摘も出来ない、叱咤も出来ない、全て被害を受けた、パワーハラを受けた被害者という捉え方になる。

無間地獄の様相という事にも成る。

簡単に書けば、利は己の力・・・負は、他人の責任・・・この子供のような捉え方で、一生を暮らす、寂しい人生だと思うが、それを求める人が日本国民にも増えてきている。

敵味方論・・・此で人を誘導する理屈・論法は人を馬鹿にしていると私は感じる。

これからは、今まで以上に冷静な目が必要だし、見抜く目が必要に成る。耳障りが良い、事がで近づき、洗脳される危険生が高まってきた・・以前は、己は無害だったが、被害を被る、方向に加速している。

此も、自業自得と言えるが・・・・

勿論、民主主義・・・絶対多数が多い方向に向かう・・・・敵味方論で考える人が増えているなら、当然、敵と限定する流れも加速する。

敵には塩を贈る文化が日本人だが、西欧化した日本人も多い、敵は死ね・潰せと言う価値観の人が増えているなら、尚更、怖いことになる。

よくこの様な考え方が、甘いと言われる・・・・「情けは人の為に成らず」この捉え方と同じで、情けも回り回って、己に帰って来るという意味・・・しかし、恩を恩として感じない人が増えたので、情けを与えても損という捉えの人が増えている。勿論、許容範囲内は情けを与えても、虚両範囲を超えれば、「目には目をとなる」・・・・本来、己の許容範囲の狭さを悔い、広げたいと考えるのが日本人だが・・・それが西欧的に成ってきている。

日本国の文化・文明の発達は、西欧諸国に追いつこうとする思い、何を立場を求めてと言うより、現実を求めてに成る。

要は、得たものをそれ以上に磨き、己のものにしていく・・・最初は模範だが、問題・課題を感じ取り改良・・・此が日本の強さに繋がっている。

この思いが有ったので、人種差別が当然の時代に、名誉白人格を得た・・・しかし、厳然と差別があるが、差別と騒がず、その仕打ちに耐え忍んで、技術を磨いた結果が、今の日本国に成る。

内燃機関も、全て真似したが、同じものが出来ない、最終的に素材の違い等々も研究しだす、結果、少しの成分の違いで、能力が変わる・・・此を理解しているかしてないかで、部位で使う素材の少しの違いで、耐久性等が変わり出す。適材適所の考えになる。その為に、色々必要だし、無駄は無いという事・・・・しかし、此を無駄、纏めた方が利益に繋がると言う考えも有る、同じ形姿をしているが、使い続けると違いが雲泥の差が分ることになる。

今の時代でも、要は、媚びらない日本・西欧列強から新たなルールを押しつけられる。要は、ルールを創る側の勝手のルール、相手、敵が優位になるルール等、「敵に塩を贈る文化が無い」敵の足を引っ張る文化・・・当然、日本国には不利になる事に成る。

しかし、今までも耐え忍んで、想像もしない、不可能と言われたことを可能にしてきたのも、日本になる。

趣旨目的がブレない・・・・要は、何の為の人生なのか????この捉え方の違いになる。

勝つためでも無い、人に優しい方向に進めていく・・・この思いが新たな開かれた世界を創っていくと私は考えている。


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