今、巷で話題に成るのが、保証・補助の話・・・・
セフティネットは行政が行うものと成っている。
要は、この問題、何も知らなければ、田舎に住む・・・私も地域も普段と同じように過ごしていたと思う・・・噂で、流行り病が有ると言う事くらいで終わっていた可能性が有る。
勿論、昔の様な閉鎖的、社会の場合に成る。
町で流行っている病が有る、町に行くな・町から来る者を阻め等々に成っていたと思う・・・・
しかし、現代は、地域の壁も無くなり・・・県の壁も、国の壁も無くなっている現状が今だと思う・・・結果、情報は湯水の様に有るし、押し寄せている、それをどう捉えるかが、民衆に成っている。
要は、危機管理の部分を、放棄し、それを扇動した方に任せたと言う事に成る。
昔なら、家と言う部分が、セフティネットだったし、家族・一族・地域がその部分を担っていた。
要は、守る為に、最善な方法は????と長い歴史で出来上がったシステムが有ったが、この危機管理の部分を、全て、行政に委ねた事に成る。
結果、個人の問題も、大きな機関の行政が守ることに成っているが・・・
以前も書いている様に、昔の、家督制度の上に行政機構が有ると言う部分が、現代まで続いている。
お知らせも文面、勿論読める人が居ると言う前提・・又、それを理解できる人が居ると言う前提に成る・・・・昔なら、家の中に解る誰かが居た・・しかし、今は家と言っても湖心一人が居ると言う場合も有るし、その人が、文章を理解できるかは????この状態である。
人は、家を中心に生きていると言う前提が有るし、その家と言うものは、誰かが解り動ける人が居ると言う前提での行政の動きが未だに有ると言う事に成る。
昨日のブログにも書いているが・・・・若し私が感染症に成れば・・・看病してくれる人が居るか????・・・又、家族の中に迷惑を多く書ける人が居るなら、私も考える事に成るし、家を離れ、山に籠る方が良いと成る。
私の場合、之が出来るから、恵まれている・・・若し、幼子が居る場合、私は居なくなる事は許されない・・・・幼子を誰が看るかと言う問題も出て来る・・・私の場合は、五男が高校生なので、親が必要だが・・・・上の息子達が、居るから、山に一人で籠る事も可能になる。
若し、多くを背負って、倒れる事が許されない立場も有ると思う・・・・少々の病なら無理して、稼がなければ、家族を守る事が出来ないと言う立場も有る・・・昔なら親族・一族がその部分をカバーしてくれたし、それがセフティネットだった・・・・
之が、今は崩壊している、結果として、行政がこの部分を担う事になるが・・・本当にその人の代わりに成るような担い手になれるのか?????
私は、なれないと考えている、単純にお金で済ませる方向に成ると思う。
要は、システムに守り手を減らし・・・攻め手を多く求めた結果が、現在に成る。
攻め手以上に守り手が難しい・・・現代は、社会の守り手を育てる之を忘れている。
攻め手が、凄い、優秀と言う価値観が強く成っている。
結果、己が守るべきものが無い、生き方が、良いと言う価値観が蔓延してきている。
要は、自己中心的、利己主義の考えが強く成っている事に成る。
私の嫁は、優しい、私達より、子供達が大事だし、その為には、簡単に無理・不可能な事もしてしまう。
当然、私達が大変なことになるが・・・この生き方を私は否定できない・・・・子供の将来の方が長いし可能性も、私たち以上に有る・・・先が無い私達は、どうでも良いと言う考えのようだと思える時も有る・・・・・
之も、バランスだと思うが、この部分も各自で違う部分に成る。
孫守、子守、爺・婆なら当たり前・・・しかし、私は苦痛を感じるが・・・・親守、親族守、一族守に地域守、この世界に住むなら当然と成る・・・・
己が居る之を感謝できれば、先祖守の墓守も当然と成る。
0 件のコメント:
コメントを投稿