次男が、息子二人を伴い、来訪・・・
今日も孫守に成る・・・・
母が言っていた事だが・・・若い世代は、我武者羅に外で働く・・・又、それが出来る年代に成る・・・しかし、子供を創れる年代にも成る・・・・
その為に、昔から、家と言う制度が有った・・・
家の制度は、母が言うには、子供を育てる、子供を大人にする為のシステム・・・子は宝と言われていた・・・・
その世界は、状況等々で変わる・・・変化に富む外の世界・・・その世界で糧を稼ぐ、当然、若人が長けているし、態様力も高い・・・結果、稼げる年代ともなる。
若い世代が、変化に富む、又は変化続ける、社会で糧を得て・・・その糧で、家と言うシステム・・・子育てをするシステムを維持する。
結果、爺・婆は・・・子育ての保険の様なものに成る・・・子守をする、糧が足らなければ、手伝う・・・爺婆のポジションが有ったと言う事に成る・・・
その為に、世代交代は早い方が良いと成る・・・爺・婆が、守される立場に成れば、誰が守するのか????・・・子守を行っている立場が出来るか????と成る。
優秀な消費者を輩出し続けた結果・・・家と言うシステムが崩壊してしまっている。
要は、今回の感染症の様な問題が出て場合・・・優秀な消費者を続ける事が出来る、人が一気に減る・・・減れば、旺盛な消費社会が、停滞するし、その状態を当然と思っていた人達は、一気に困る事に成る。
要は、この様は家のシステムを続けたところは・・・今回の国の補助政策も、大きな意味を感じるし、有難いと成る・・・・しかし、優秀な消費を演じ続けなければ成らない人は、この程度の補助は、スズメの涙程度にしか感じない事に成る。
要は、消費者として、稼ぐ・・・之だけしか教わっていない人達が社会に排出されている。
稼いだもので、何を形成するのか????・・・この部分が欠如している。
結果、仮に他人に稼ぎを振舞う事になるが・・・・その相手も、この部分を知らないので、感謝や思い等々も気付かない事に成るし、多く奪う事が長けていると思う方向に成る。
昔、生きたお金を使えと言われていたが・・・生きるお金と言う意味も、解らなくなっている人が多く成っている。
要は、後世の為に、稼いでいると言う事・・・その為に、後世の為に成る使い方をすると言う事・・・・この部分が欠如しても、稼ぐと成れば、当然、己の為と言う、単純な考えに成る。
己の為に使ったお金・・・・何か意味を有るのか・・・渡した相手も、感謝や恩等、感じていないのが現実である。
この世界なら、使えるお金が無ければ、死ねという世界に成る。
簡単に書けば、今、物を買って「有難うございます」と言われた、その瞬間で忘れ去られている。之が現代である・・・「有難うございます」もただの挨拶の言葉に成っている。
現代の価値観を危惧して、ブログを掲載しだしたが・・・その不安・問題点が大きくクローズアップされる、事柄が続いている。
何時、人が気付くのか???・・・気付いても、社会の風潮・流れ・風に流される事に成る。
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