今回の、社会の雰囲気・・・・勿論、私が感じれる範囲に成るし、田舎という前提になるが・・・・・
営業をしている、お店が減り続け・・・生活の為のスパーは大繁盛・・・・
勿論、大店舗に成るし当然、利益は、本社が有る所に行く・・・
地元に根差し、地元にお金を落としていた、小さなお店が何故か、元気が無いし・・・先の見通しが立たないと言われている。
原因は、今回の感染症が、何時まで続くのか????
勿論、感染者が0に成るまで、待つのか????
死亡者の数が0に成るまで、待つのか????
等々、収束宣言は、どの時点で行われるのか????・・・又、一人一人の市民が感覚的に安心できるポイントは????・・・・・等々、予想の判断が付かない部分が多過ぎる。
何度が書いているが、一日、インフルエンザで亡くなる人数が50人以上が続いていた時でも、大騒ぎには、成っていない・・・・
死人の数かとも言い難い部分が有る。
感染者の数・・・徹底して調べると今回は、よく耳にする・・・・・・しかし、50人強亡くなっていたインフルエンザの時に、感染者の数を、全数検査等々の、発言は耳にしていない。
この差が、何故、起きているのか?????
市民の防疫の考えも、インフルエンザの時は、マスクをしていない等で、異端児扱いは受けなかったが・・・今回の場合は、白い目で見られる。
要は、市民全員が、防弾チョッキを着て、外出する・・・・この姿を見たら・・恐ろしさを感じるし、外は、弾が飛び交う世界かと思えてくる。
要は、過剰な防疫は、逆に不安感を与える。
この不安を、何故か、マスコミが行っている様に私は感じる。
私の今までの経験で、インフルエンザで今日、何人亡くなった等の報道は、観た事が無い・・・又、薬が有る病気での死亡者の数・・・こちらの方が私は怖いと思う。
しかし、以前も書いているがO157の食中毒・・・同じ物を食べ、亡くなる人も居る、又、重病に成る人も居る・・・軽症な人も居る・・・無症状な人も居る。
この違いは、各自の免疫・抗体等の特徴に成ると私は考えている。
体力の差も特徴・・・・各々違う筈である。
仮に、火事の現場・・・・女子供が消火に当たるより・・・体力が勝る頑強な男が行う・・・この様に、人は各々特徴が有り、違いが有る。
我家でも、少し日が経った食材・・・最初に私に食べさせる・・・少し酸っぱいが問題ないと私が、言っても、家族は食べないが、私が食する事に成る。
私が全く問題ないと言っても、半信半疑で舐める程度に成る。
要は、人と各々、違いが有る・・・それを全て同じ物差しで測るのが、マスコミに成っている。
命がけの仕事も有る・・・・之を、危険・命の軽視・人権無視と叫んで誰もしなければ、誰が問題を処理するのか?????
政治家がするのか????公務員がするのか???・・・誰がするのか????
危険と解っていても、しなければ成らない責務と使命を感じて行う人も居るし、それを否定する様な情報しか無ければ、その仕事の後継者等、出て来ない事に成る。
要は、問題に対して、対処し生き残る、この様な情報が乏しい・・・逆に問題に対して、敗北した、この部分が、クローズアップされ、原因・責任等々と言う流れに成る。
私は、敗北等は、最後の最後、死ぬ時にどう感じるかと考えている。負けそうと成ったら、絶対に負けないと振舞う事だと思う・・・・
動いて居れば、何かを掴む場合も有る・・・勿論、悪い場合も有るし、良い場合も有る。
悪いと思えば、掴んだものを離せばよい・・・・
今は、問題の責任の転換方向に向かっている。負けたと言う事に成る。
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