今年も、多くの年賀状を頂き・・・又、今年一年・・元気を貰ったし、有難い・・・・
しかし、昨今は、年賀状も派手だ・・・・
若嫁の里から、届く年賀状は・・孫達との写真等々が、当然の様に使われている。
一年の報告も兼ねる・・一緒に旅行等々に思い出の写真に成る。
見る者の心を和ませる・・写真と思うが・・・
息子の親としては、少し、複雑な気持ちに成る。
勿論、現代・・私の考えは古いと思うが・・・私の感覚だと、嫁を貰ったと解釈している・・・我一家に、貰った、若嫁と言う、認識に成るし、その為に、苗字も我家の苗字を名乗っている。
その為に、出来た、子供・・・この子も、我一族の子供と言う認識に成る・・・
しかし、嫁里から送られてくる、年賀状の写真を見ると、その家の孫・・子供に見えてしまう。
私の嫁が・・・息子達を、婿にくれた訳でない・・・取られた感じがすると言っていたが、私もその感覚が有る。
勿論、現代の考え方と違うと思うが・・・・・何度も書くように、「生老病死」が人間には必ずある・・・その為に、子孫・後継者が必要に成る。
又、寿命も延びている・・・少ない後継者では、面倒を看きれない可能性が高い・・・
私は、この部分を考えていたので、最低でも、男の子を二人は儲けると考えていた。
理由は、一人の後継者では、現代の平均寿命を生きると仮定すれば・・・
仮に、私が80歳・・・子供は50歳前後に成る・・・・当然、子供も、子育てが済んでいれば良いが・・・若し子育てと、親の介護が重なると成れば、当然、一人の後継者では無理と成る。
又、夫婦二人とも限らない・・・離婚も普通と成っている現代・・・一人かも知れない、一人で、子育と親の介護・・・無理を超えて、不可能と私は思う・・・
又、子供も、トンビが鷹を生んだと成って・・・優秀で都会に出て行ったら・・・当然、親の介護等は無理と成る。
逝った母が言っていたが・・・産めるなら、多くの子供を育てた方が、今後の時代は良いと言っていた。
介護の必要性を、感じ出した母の意見に成る。
理想は、年代の切れ目が無い状態に、一族を創る事とも言っていた。
要は、子供の捉え方に成る・・・何の為に、子供を産み育てるのか???・・現実に則した確りした考えが必要と言う事・・・・
私の場合は、己自身も、老いる・・・五体不満足に向かう・・之を認識しているので、その手助けをする。後継者として、子供を育てたし・・・その思いを子供達にも伝えているが・・・子供達は、その様な親は居ない、有りえない・・利己主義等々、言うが・・・仕方が無い、私は、目的が有ったので、子供を作った事に成る。
私は、「生老病死」から脱する事が出来ないと、信じているし・・・必ずこの部分に私も成るし、終わると考えている。
全てが、人様の手が必要と言う事に成るし・・・迷惑を掛ける事に有る・・この部分が解れば、出来るだけ、他人様には迷惑を掛けたくないと成るし、その為の、後継者と私は成る。
誰しも、人の子である・・・産んで育ててくれた人が居る・・・その人も当然、老いるし・機能不全方向に向かう・・・この時、恩を感じているなら、何が出来るかに成る。
私は、この様な部分は、当たり前・・・当然と思うし、誰しも解っているし、誰しも行っている・・・・普通の部分を行っているから、それ以外が出来る事は、凄いし・余裕が有る力の表現だと私は捉えているので、凄いと思ってしまう。
簡単に書けば、当たり前の部分を放棄してする等々は、昔なら馬鹿と言われていたし、人として軽蔑に値できると成っていた。
若し、この部分が崩壊し、人が羨む事が出来る・・之が力・優秀の見本と成れば、責任と義務を放棄する、生き方が一流と言う事にも成る・・・之が常態化し、普通と成れば、当然、当たり前、言う必要が無い部分を、言わなければ成らなくなると私は考えている。
勿論、今回の年賀状、若嫁の、実情・現実が解るので、仕方が無いと考えている。
息子さんは居られても、優秀な為に、都会の一流メーカーに就職・・・帰って来るとは思えに・・・その地で嫁を娶り生活されると思う。
側に残っているのは、娘・・・・娘は出来るだけ親元に置きたいと言う思いも解る・・・
親元に居て、知合う男は、当然、その地の地元の人間・・・
結婚に成れば、親元の地元で所帯を持つ・・・
結局は、優秀でない為に、地元に残っている、私の息子の様なタイプに成る。
又、私の場合、息子が5人いる・・・之が、又・・嫁里の親から見れば、魅力に感じているようである。
話す機会が有ると、必ず、この部分を話題にされる。
現代では、平均的、家庭に成る・・・勿論、田舎では・・・・子供も数人育てられた・・当然、教育等々に力を入れれば・・・優秀な子供に成る可能性が有る。
要は、子育てを成功したと、現代ならなる・・・・
優秀だから、都会で、一流企業等々への就職・・・之も、子育て成功に成る。
しかし、この時点で、親は気付く・・・多くの投資を続けたが・・・結果として、親元から離れ、又、帰ってくる等々が、不可能に思える方向に成ったと・・・・
又、この時点で、親も老いを感じている・・・誰が後々、我々を看るのか???と疑問が湧く・・・しかし、親が敷いたレールの上を、進み続けた子供は、当たり前の様に、親元を離れて行くし・・・それも遠く離れた都会と成る。
当然、親として、今更、撤回は出来ない・・・見送るしかない・・・
結果、手元に残していた娘等々に、期待が増すのは必然だと私は思う。
何度が書いているが・・・仮に、一人の子供しか、居ない・・・・二つの家が、結婚した・・・之が意味する事は、普通なら、二親・・二件分で・・・親が4人居る事に成る。
結婚した、夫婦に、今後4人の介護が、必然的に有ると言う事に成る。
夫婦・・・当然、子供も産み育てたいと成る・・・・この子育て期間を25年と考えれば・・・一人の子供だけでも・・・扶養する人間が、夫婦二人に、25年の間。背負う事に成る・・・当然、親の介護が重なる可能性が有る、結婚した年齢で変わるが・・・一人の子育て中に・・・四人の介護が必要に成る・・・・二人の夫婦で之が可能か????
当然、余裕が有り、力が有るなら可能であるが・・・
私の様に、三流で劣っている人間には無理だし、不可能に成る。
その為に、回転率を上げ、多くの子供を産み育てる・・・之が、劣っている人間の生きる方法と、私は母から学んだ・・・・
勿論、子育て等々にはお金が要る・・・その為に裕福で無ければ、子供は産めない・育てられないと、母に言った事も有るが・・・母の答えは・・・昔から貧乏人の子沢山と言われていた・・・裕福だから子供を多く育てられると言う理屈は通じないと強く言われた記憶が有る。
劣っている人間なら・・・己の力・努力では・・勝負しても負けに成る。
勝つ必要は無いが・・・負けない為には、同じ土俵でない、相手が弱い部分で、勝負する事・・・之が、劣っている人間の生きる手段と言う事に成る。
要は分に応じた生き方・考え方が有ると言う事・・・間違っても、分を超える立場の人を模範にすれば、当然、生きられない・・息苦しい方向に成る。
誰しも、勉学等では解る筈・・・・優秀な人なら解ると思えるが・・・劣っている立場なら、真似も出来ないし、模範にして同じように振舞うか????・・
立場・次元・ポジションが違うと、別も道を探すはず。
若し、社会の基本・普通は・・・劣っている立場の普通で基本なら、それを模範・目標にしても良い・・・しかし、この部分が、大きくレベルの違う立場の普通・基本なら・・・当然、己のレ別と違うと、別の基準・普通を作り・探す事に成る。
母が言っていたが・・・子供は親が居なくても、国が育ててくれる・・・社会・世間が育てる・・・・しかし、老いた、高齢者は・・・道に捨てても、誰も見向きもしない・・・
之は、昔も今も同じ、人間の本能・本省と言われていた。
勿論、老いて、優秀・一流等の肩書も意味を成さない・・・残るは、お金に成る・・・お金が有り、着飾り・貴金属を身にまとい、道で倒れれば、手を差し伸べる人は居る・・・
全ての高齢者が、この様に成るとは限らない・・・着飾る頃が出来ない立場なら、当然、手を差し伸べてくれる・・・後継者を創る必要が有る。
考え様では、着飾って倒れても、手を貸したと思った瞬間、貴金属を奪って、立ち去られるかもしれない・・・
誰しも、数十年後は、高齢者に成る・・・その時、貴金属を身に付け・・普段から歩ける身分に成れるか????・・・私は当然、成れないと自覚している。
名も無き、小汚い老人に成ると思う・・・・この様な私に誰が手を差し伸べてくれるか????・・・後継者を育てて居なければ、誰も居ないと成る。
これが、見えるから、後継者を育てたいと、頑張っているが・・・
その後継者が、人様に取られる・・・之を、名誉と思えるか、悔しいと思えるかが、今後の私の課題に成る。
自分の内心に・・・アリとキリギリスの説話で・・・キリギリスの命が有る・・・之を常に、気付き、押さえる努力が必要に成る・・・これも三流が為に成る。
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