2018年2月4日日曜日

車は走る・止まる・曲る・・・これ全てが操作・・・

有る尊敬する、実車系のドリフターから・・・言われていた、RCドリフトの疑問点・・・

実車と、逆に見える・・・・

この言葉に、私も解る部分も有るので・・・・疑問点を潰す方向に成った・・・

何度も書くが、何故操作を辞めて、車を止めようとする操作側の意思が有るのに、車が勝手に動きすぎている。

この逆に、何故走らせるポイントで、車が止まる様な挙動を示すのか???

実車系のドリフターが苦具され疑問を投げかけられた理由が、実車系が何故か、RCドリフトの挙動の世界に向かっている・・・・

簡単に楽しめ、誰しも参戦できる、世界が、ドリフトだったが・・・大きなお金、スポンサーが無ければ、出来ない、ジャンルに向い過ぎれば、実車のドリフト界も廃る方向に向うと言われていた。

RCの世界、挙動に近づけるなら、基本はかに走り、前後を大きく喧嘩させて、車を斜めに走らせる方向に成る・・・・・この事は、大パワーを必要とするし、ドリフトに長けたタイヤが必要に成り、結果的に、一般の人が参加できないジャンルに成って行く・・・・

簡単に書けば、先ずは形が必要と言う事に成るし・・・・実車でも基礎練習等々より、コースをいかに激しく格好よく走るか、この部分に注視すれば・・・

昔は、簡単な基礎練習でも盛り上がっていたし、その為のタイヤも廃タイヤで十分だったが、この様な地味な楽しみも、誰もしなく成るし、逆に恥と考える様になれば、先に書いた廃れて行く事に成る。

この危惧が有るから、RCドリフトを楽しんでいた私に、この思いを言われたと思う・・・・

結局は、田舎の山猿、お金も無いし、荒削りだが・・・そのハングリー精神的オーラー等々も昔は、楽しめたし、それを評価していたが・・・全てが形に成れば・・・・・・との危惧に成る。

何の世界も同じだが、素人意識、素人の参加の窓口が空いている時は、発展する・・・・
しかし、有る時、プロと言う単語が付いた時点で、衰退が始まる・・・・・・・

勿論、之も結果で、その世界での上下感が出来だし、之が限界に来たし、縮小方向に向かっている感触が、リーダー層に現れた時に、この様な単語で人々の縛りを始めて、発展を考えるが、之は本末転倒の策に成る。

ドリフトが、バーンナウト走りに成れば・・・・何時、吹っ飛ぶか解らない、ギリギリの挙動等見せる必要も無くなる・・・安定して、多大に回し、それでもグリップ力の有るタイヤを使い・・・ドンドン飛距離を稼げる・・・・飛距離・スピードに注視して行くのは、当然の流れに成る。


車の操作は、走る・止まる・曲る・・・この三要素を、操作側が演出することで、車は走っている。

この三要素を出す為の、操作は色々有る・・・・RCカー・電動/GPでも操作感は違う・・・・その特性、宿命に応じた操作が有る。

RC独特の操作、挙動を、何故か誰かが、実車と口から出た為に、実車の方が影響を受ける事になったと言う事になる。

この責任は、誰に有るのか・・・・・問題は、個人の意見・思いと言う事で、人の扇動や誘導し、縛りに使わない事の大事さだと私は考えている。

この部分は、環境での教育に成る。

若し、外部操作のRCカーを、実車に近づける事は、何度も書くが不可能に近い、操作感が求めれれるし、長い年数の練習が必要に成る。

私は、所詮、妥協の産物と考えて、事を進めている・・・しかし、自分の拘りで、近づける努力は必要だし、それを続ける事も大事だと考えている。

この拘りも各自で違うし、それをRCドリフトの世界でどう表現できるか、この部分だけで良い・・・・

その走りは失敗ばかりで・・・格好悪いが、操作感が好みなら仕方が無い部分に成る。

之が妥協と言う部分に成る・・・・・人から格好よく思われる之が、拘りなら・・何処かに妥協部分が出て来る。


自分の好みを、言っているだけと言う事を確り、学ぶべきだと思う・・・

しかし、今までお会いした、初心者さんに多いのが、何故か有名な人がこう言っていた・・この様なパーツを使っておられた、それをコピーして来られる人が何故か多い・・・

その様な人に、現実にその人に有って話をした???と聞くと、回りからの話や、ネット等の情報からの知識・・・・其れに何時、何処等々も、無い・・・・


簡単な事だが、ネットで、かのの情報も見れる・・・・10年程前の、凄腕と言われる人達のシャーシの写真等が有るが、現代にマッチできるか????

最近なら、二年前の、2駆のシャーシの写真等を見て・・・今のシャーシと違いが有る筈だし、
その当時は、この策が早さやトラクションに繋がると信じていたが・・・今は????

之が人の変化だし、環境の変化・・・この変化し続けている環境で、過去を参考なら良いが、コピーは少し、違うと私は考えている。

情報誌の過去のドリフト部分を見れば、之が最新の、ドリフトマシーン、スピード・飛距離に長ける等々、ホップが有り、シャーシの写真が有るが、現代の目で見て、その表現の意味している、内容と、昔、感じた言葉のイメージと違う筈・・・

その時・その環境でと言う、限定した部分で存在しているという事・・・・

環境・場所・時を限定した評価と言う事・・・・・

環境も違い、場所も違う、勿論、時も違う・・・今の自分と考えれば、模索を続ける事になる。

何事も変り続ける・・・之が正しいと言うものさえ、変り続ける。
その為に、固定観念を作らない事が大事・・・・

固定する部分は、心だけで十分と思う・・・後は尤物的部分が支配している、この部分は必ず変わる。






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