2017年5月9日火曜日

RCドリフトのビジョン・・将来・・・

RCドリフトの世界のビジョン・将来も・・・・RCドリフター一人一人の思いが、その方向を示し、向けていると私は考えている・・・

思いと・行動が違う、之は何の世界でも有る・・・思いは、何で判断している、言葉等々の表現を私は大事に考えている・・・

之は、職人の世界でもよく有る話だが、師匠は色々、言われるが、本人が出来ない事まで、弟子に出来る様に成れと当然の様に言われる・・・其処の矛盾を感じるか、師匠の思い弟子を自分以上に育てたいと言う意味と取るかで、感じ方が変わる・・・

師匠は出来るという確信が有るから出ている言葉と感じれば弟子は挑戦して出来れば、育ててくれた師匠のお陰に成る・・・単なる見栄・格好を付ける為の、言葉として感じるなら、挑戦もしないし、マタマタ、始まったと取る・・・

文字にすれば、同じだが、言葉等々の直接接する、対話にはその様な部分まで感じる・・・

しかし私は、単語・文字に置き変えて、考えている、結局、思いが有ると、将来や今後の夢が有るという事に成る・・・・

よく、行動の言動の整合性と言われるが、之が伴わないと人は本心で信じられないと言われる・・・
其れはその人への信頼や信用・・・・言葉が意味する事は、別次元だと考えている・・・

言葉の意味を考え、若し出来たらこの様な将来に成れば、と期待が出来れば、挑戦をすれば済む・・・・この様に私は考えている・・・・

技術や技量と言うものは、各自の能力でも変わる部分・・・仮に、手が無い人が、物の作り方を話したら駄目なのかに成る・・・・航空力学を学ぶ為には、パイロットの資格が無ければらなら駄目だと言うことも無い・・・・

有る、航空力学の博士が、個人的見解として、今の旅客機が飛ぶ、之は感覚的には、不可能と感じる、しかし、学術的には飛ぶと言われていたテレビを見た記憶が有るが、

感覚と、現実に大きな差が有るという事に成る・・・

感覚は、長年体に染み付いた、感覚から発する部分・・・

経験と成る・・・

経験では飛べないと思っても現実は飛んでいる、その分野の学者が言っている事に成る、勿論学術的に計算でも飛べると成るが・・・

飛びたいと考えた先人たちが試行錯誤して、飛んだ、この事から始まる学術に成る・・・

現象が有って、それから学術が出来る場合も有る・・・

要は、人の思いが口から出ている、之が将来と言う事に成る・・・之が可能に成れば、夢が叶うという事に成る・・・・

無かしら、口から言っているだけと、回りから言われていたが・・・言っているだけと取るか、未来だと取るかの違いだと私は考えている・・・・

何故かは、その言葉に否定できない為・・・言っている人が出来ている・出来ていない等々は全く関係ない・・・・

結局、RCカーの独特のアンダーを減らす、方向を言っている・・・今は当然と成っているリア・トーを減らす、昔なら有り得ない、異端児の変わり者がすると言われていた部分・・・今は当然と成っている・・・

フロントがステア操作でポジル・・・之も昔は変わり者・異端児がすると笑われていたが、今は当然と成っている・・・

キャンパー等も非常に深いが、当然だったが、今は・・・・・

最近の2駆の動向を見ても・・・昔はドラックマーン的、リアの面圧を増やす方向だったが、今は・・・・

何故変化しているのか、同じ走る、この走る事は何でも出来ると私は考えている・・・しかし、其れでは満足できない人が居るという事に成る・・・・

約一年間、今伺っているコースで、周りの人達のセット方向等を見ても大きく変化している・・・

何故変化しているのか・・・・又色んなコースへの遠征したいという気持ちも強まってきている・・・・
何故、出ているのか・・・・

遠征すれば、又その部分で学んだり、影響されたりするが・・・之も勉強・・・

車の基本、車を確り操作範囲内に維持し走り続ける・・・コントロールの介入度が高いと自信が有るからだと私は考えいる

今まで、草創期には、之がケツカキのセットと、言い切ったブログ等が多かった・・・2駆も同じ流れを進んでいる・・・・
正しいと言う事を書かなくても、実車やリアル等々を散りばめている・・・・スタイルとで逃げると言う部分も有る・・・・・

しかし、行動等は気にする事は無い・・・・其処から出て来る、言葉、表現が気に成る・・・その表現を具現化する方法は色々有る・・・・其れを試す事に成る・・・・

SAKURA 2駆の動画も残しているが、本当に加重移動の操作が出来れば、舵角表現が出来なくても、車の向き位は変えることが出来ると私は考えて、挑戦した、勿論、多々勉強できた・・・・・

要は格好よいか悪いかと言う、第三者の評価より、学ぶ部分が有るか無いかに成る・・・有ると思えば、挑戦すれば済む事・・・・

結局は、「聴けば一場恥じ・・・聴かぬは一緒の恥じ」に繋がる部分が有ると言う事・・・

私が考える、流れは、全てが適正方向に向っている、足掻いても無理だと言う事・・・・

等速時代もぶん回す、後半転がす方が早いではないか???疑問が出だすと、ケツカキに変わりだす・・・初期はぶん回す方向・・・・後半は、転がす方向が結局良いのでは???2駆が始まる・・・この流れを永遠続けている・・・・

回し癖が有る為に、不利に成る、その為にジャンル変え、と成る場合も有るし、歴史を見ると、その流れが強い感じがする・・・・

結局、最初に付けてしまった操作の癖を解消する方向にする努力でなく、車やジャンルで対応して行く流れ・・・・

よく今後はと質問される時が有るが・・・・開き直りが始まる流れが始まると考えている・・所詮RC・・・オモチャ、RCらしく、楽に走って、ストレス解消、之が、RCの楽しみ方と今まで表現と変わる可能性が有る・・・
結局は、自分に周りを合わせて貰うために誘導が・・・・・

外部操作のRCだから実車とは大きく、最初から違う・・・それなら、このRCらしさを表面に出す・・・歴史も、ツーリングも実車と大きくかけ離れている・・・勿論、時々実車路線に向おうとする流れも出るが直ぐに衰退・・・・歴史が長いツーリングの世界でもこの流れ、RCドリフトが幾ら足掻いても、RCはRCと成る可能性が有ると言う事・・・

勿論、最初から、大きく、表には表現は出来ない・・・内輪だけの部分から、自然い広がり出すと思うが・・・現実には始まっていると私は考えている・・・

人の本性、人を知れば、この方向に向う時期である・・・・

結局、技量UPを怠り出すとこの方向に進む・・・



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