若い頃、先輩から、人は、振る舞い等々の部分での、影響が大きいと教えて頂いた・・・・
子育ても同じで、親に何気にしている癖等を似たりする・・・言葉等の表現で教えたわけでないが、勝手に、学んでいる事に成る・・・
その為に、振る舞い方は、重々注意が必要と言われた事が有る・・・・
よく、真実は???と考えることが有る・・・・しかし、よく考えると、言葉等々の表現に対しての信じる、模索等々は行うが、人の振舞い方に対しての、真実等は余り意識して考えないし、各自の主観で、好き・嫌い程度で片付けている・・・
この様な人としての、特性が有る・・・・その為に、言葉を注視する人は多いし、言葉の整合性を、保とうとする考えも出て来る・・・・
人の特性が解れば、言葉を聴き、其れを自分なりで、検証して信頼できるとなれば、その言葉を遂行すればよい事に成る・・・・
又、耳に残る、言葉、等々は、案外、正しい事が多い・・・この言葉通り成れば、何も問題も無いと言われる部分が、人の振る舞い・行動が違うと言う事に成る・・・・
形を現す部分が、振る舞いは行動に成る・・・・言葉の世界は、頭の中の思考回路が、その人の価値観の範囲で考えている状態に成る・・・・
振る舞い部分が、色んな問題を起こす、人の甘え・欲・見栄・損得勘定・・・等々、色んな事の総合した形に成る・・・・
私は、人の言葉を信頼する、努力をしている・・・・行動は、その人の個性だし価値観、良しも有るし、悪しも有る・・・勿論、失敗・勘違いな行動も起す・・・之が人である・・・
行動は目に見えるが、その人の考えで無い場合が有るという事に成る・・・・しかし、「百聞は一見に如かず」という諺が有る様に・・・・人は、行動・姿での判断が非常に優位な位置に成ると言うことに成る・・・・
一部を見て、それで全てを判断する、危険性が有るという事に成る・・・・
又、若し、見る目が、曇っていたりすれば、危険性も益々増す・・・・
結局、人は言葉等の表現より、現実に見える行動を真実と感じる方向が有るという事に成る・・・・
若し、見えている環境が、狂っていても、その中だけを見ていれば、正しいと見え出すことにも繋がっている・・・・
言葉等の表現と・・・・振る舞いの行動・・・この重さの違いの価値観も私は大事だと考えている・・・
勿論、両方大事・・・しかし、時と場合でこのバランスが変わる、この変え方が、先人の知恵等々を学んでいるかで変わってくる・・・
私は、言葉等がその人の思い・夢を表現していると考えている・・・その為に共感できれば私も尽力・努力する・・・・・振る舞いや行動こそ、私は一過性の物と考えている、変化するし、若しその人が亡くなれば、見えない事に成るが、言葉等の表現は残り続ける・・・・・
一瞬を表すものと、今後の永遠性を表すものとが有る・・・・・
しかし、一瞬一瞬で変化する、この部分を信用したり、真似したりする人が多い世界が現代である・・・その為に、振る舞いも大事に成る・・・・
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