2025年6月28日土曜日

ディケアサービスにて

体がキツイ、嫁も、限界が来たら、早めに帰ってきても良いと言ってくれた。しかし、出来るだけ嫁の自由の時間を与えたいと思うし、その為には、4時過ぎまでこの施設で面倒を看て貰うことが最善と思うが、運動も無理を出来ないと医師から言われ、退屈な時間を過している。無理すれば、吐血するし、大きく体的にも衰退する。四日間の入院だったが、大きく体力等の衰えを感じる。これを早く回復したいという焦りが、再度の吐血に繋がっていると思える。

何処まで世間にすねを囓らせることが出来るかが、人間の度量と考えている。当然、囓らせるだけの物も必要だが、物が有ってもその気持ちが無ければ、この様な考えにも生らないし、非常識と捉えてしまう人も出てくる。己だけ良ければで進んだ結果。民主主義国の、大国のリーダーが言った言葉に驚いている。正義の鉄槌、広島・長崎の原爆を例にして言う?????考えられない・・・・この感覚が一神教の価値観の怖さ、正義と言う名の下に、行う行為は正義となる。神さえ、人類の滅亡の為に大洪水という鉄槌を加えた、神は力が有るという捉え方なら、力が有れば、己の趣向で、鉄槌を加えることが出来るし、その結果、多くに民間人等の人が犠牲になっても仕方が無いと言う考えにも生る。此が、民衆主義国家で法治国家の代表が行うようになってきた。当然、自称民主主義国家、法治国家を名乗っている、大国で独裁方向に見える国なら、尚更、この傾向が強く成る。人を物、家畜の様に考えている。日本国では、家畜も命だという部分は忘れていないし、その為の保養等も行い続けているし、日頃から、「いただきます」と感謝の思いを伝えている。食材にも謙虚に、生かされている・食べさせて頂いているという思いが有る。しかし、現代の食品ロスの問題、感謝の念が無くなっているという事、大事な命を頂いている。勿体ない全て頂くという思いも薄れてきている。

良く賞味期限の食材も勿体ないからと私は食する。食あたりの危険性は有ると思うが、幸いその様に成らない、少し機嫌が超えただけで廃棄・・・・この感覚が分らないし、この位、厳密にすると思うなら、管理を確り行えと思うが、管理は行わないで、目の前に出てきて初めて気付く・・・此も人の傲慢と思うし・・・・此が普通なら、傲慢な言動が当然と言うことになる。要は、ルールが有るのにそれに従わない、誰が悪いのか????私は、本人だと思う。

昼食後、体調が一気に悪くなってきたので、嫁にお迎えを依頼・・・・午後から帰ることにする。体力・体幹をUPしないと持久力が出せない嫌になるが、此も運命だし、何か意味が有るから、生き延びていると思ってリル。生きると言うだけで責務が有る。この責務を何処まで気付く事が出来るかが、その人の人生になる。広がればレベルが上がる。境涯が上がる、間違っても今の世界の主流の三悪道・地獄・餓鬼・畜生道にからは遠ざかりたい!!!!

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