今日、四男家族が来訪・・・・彼達の目的は、ベビーカーのプレゼントを期待してに成る。今、彼達と嫁と、お店に向った。
その前に、久しぶりに、孫の、四男の五月三日に生まれた男子を、座りながらだが、抱くことが出来た。有り難い・・・・立派な子と勝手に思い、今後の成長を期待・・・・・しかし、腕の中で、此方を見ている赤子が動く都度、体が痛む・・・・・頭を支えている。左腕が直ぐに限界に達する。結果、十分程しか抱くことが出来なかった。この子がハイハイを始める頃、その動きに着いていけるか、此を、今目標にしている。今後、衰えていくことが、医師から言われている病、己の体から一つ一つ欠けていくのを楽しむためにも、孫達の健やかな成長が希望で有る。この様に裸で一人で生まれ、その時は多くの親族が周りをホローしてくれていた。この何気ないホローの有難さを私は身を以て知っている。此も、近い縁の人が居ることが、何より大事、無いなら、他人にも情と愛を与え続けて、後継者を創るしか無い、今の価値観だと、損だし、苦労する方向に成る。しかし、今の私の状態で、誰も身内がいないとなれば、寂しい人生になる。裕福な人生だっても最後が寂しいなら意味が無いと思う。人は将来、何が起きるか解らないが「生老病死」は宿命として知っている。この大事な事さえ無視し、しがらみと捉え、嫌だと拒絶続ければ、寂しい最後に成るのは必然で有る。
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