今朝・村内の公民館と納骨堂の総会が有った。
最近問題化し、増えている事・・・引き継ぎの事に成る。
要は、唯物的な物が有るし、残っていく・・この維持管理を誰がして、その費用を誰が出すか????当然、生きている人に成る。
しかし、少子化が問題だが、後が続けない家も増えている。
結果、その家、私の前の遠い親族になるが、大きな大邸宅も今は、空き家・・当然、雑草等が公共の道との境部分に生える・・・私は勝手にその家の周りだけは除草剤を散布しているが・・・それが出来な処も有る。
又、昔は問題に成らなかった、色んな組織・手段に対しての助成金を出す。お礼も含めての意味が有ったが・・・現代でこのお礼と言う観念が無い・・・結果、何故、別組織にお金を捻出するのか、法令等を見れば問題となる等々の意見も出だした。勿論、私も解っているが、その地域の特性・文化・歴史が有る。要は、他所とは違うと言う事、格好良く言えば、オンリーワンの地域だと言う事だが・・・それを、標準化すると言う流れが現実に起き出した、理由は、簡単に書けば、参加・協力する側が損という捉え方、何故、損する事に汗を流さなければと言う矛盾を感じて居れることになる。要は、少子化の本質の問題と同じ・・・
事柄を片付け・処理する、此を誉れと捉えるのか、損・苦と捉えるのかの違いになる。
田舎の綿地域も、都会化されている、グローバル化されていることになる。結果、規約・規則を確り整備するとなるが、確りとは四角四面に向かうという事、管理も人が居るから出来る。この人が途絶えた家の墓、誰が管理するのか????この問題が、納骨堂の場合は出てくる。
商売としての墓所なら・・規約に年会費を何回滞納したら、墓の権利が喪失する等々が謳ってあるが・・・・我が納骨堂、会費も無い為に、一度納骨したら、出す手立ては、納骨堂の運営者には無いと言う事になる。
勿論、法的な処置も出来るが、無料で無い、弁護士等にそれ相応の対価が要る。
私の感覚だと、納骨堂内に、後継者が納骨堂側から見て解らない処が1/3程度有ると思う。
当然、何か有ったら連絡しなければ成らないが、連絡先も解らない・・・若しかすると、あの世に連絡しなければ、成らないという場合も出てくる。
特に墓・・死んで終わると違い、死んだ後も続く部分・・・誰に権利と責務が有るのか???此が解らないし、手を挙げようという人も居ない・・・
日本人は、先の大戦で、戦死されたB29の乗り組み員の墓を造り・・管理、毎年法要までする、民族で有る。要は敵を供養する人種という事・・・
なのに、何故、近隣の人に対して、この思いが出ないのか???・・不思議である。
何度も書くが、小さな村・・・此が日本の縮図と私は捉えている。この村が明るく、平和に過ごせることが一番良い事だと思っている。
今回、基本規約を作り、運用はケースバイケースでと成った。
理由は、全ての事が、立て板に水の状態、何事も上から落ちてくる。
赤い羽根募金・緑の羽募金等々、行政区の世帯数が割り当てられる。当然、高齢の独居老人宅にも啓蒙に行く事に成る。数百円の為に何度も何度もと言うのが現実、このの余力を隣組長で行って貰う、当然、担い手は居なくなる。その為に、誰かが全額を一括で支払っている事に成る。
要は、四角四面にすれば、経済苦で払えない処からも、奪う様な形で徴収しなければ成らない・・・此が、本当に平等なのか???私は疑問が有る。
配慮とは、差別にも見える・・・しかし、放置していたら、戦力にも成らない・・・少しでも戦力になるなら、手を貸すと言う方向性も有ると思う。
勿論、十分の戦力を保持し、何時も発揮できる人には、手助け等必要でも無い・・・現状だと足手まとい、しかし、少しの事で、戦力に成る人も居る。
村内の事に参加すると、世界の状況も間接的に見えてくる。
私は、この世界で死ぬが、狭くすれば、今住んでいる地で死ぬ、その為に、この地を一番に優先している。
0 件のコメント:
コメントを投稿