2019年2月1日金曜日

糠に釘・・・・

ことわざで「糠に釘」とある・・・・意味は、糠に釘を打つ様に何の手ごたえもなく。効き目がない事を言うらしい・・・

人は各々、個性が有り、違いが有る・・・・

仮に指摘側が釘とすれば、相手が糠なら、手ごたえもなく・・・釘も簡単に刺さっても、直ぐに倒れたりする。

相手次第で、変わる部分に成ると、私は考えている。

仮に、糠を動かす為に、釘を使うか????・・・・平らな板が良いし・・自分の手の方が良いと私なら考える。

又、大きく動かそうと考えれば、糠を入れる容器を考えるし、それを使う事に成る。

この部分も人の多様化、価値観の多様化を前提で考えているか・・・固定化で考えているかに成る。

対する相手を硬い木片と考えれば、釘が効くし・・・その釘を持てば、木片全体も、自分の思い通りに動かす事が出来る。

木片に効く釘しか持たない、また之が正しいと考える、一極方向の価値観なら・・・・この ことわざで感じるのは、策を用いても、ダメな人居ると成るが・・・・この策が限定されていると成る。

よって、この狭い策で、相手に効き目が無い、相手が悪いと、成る方向性に向かう。

私の、このことわざで感じるのは、先に書いている様に、相手で、策が変わる、当然、人の数、策が有ると言う事に成る。

糠に釘が効くかと、考えれば、当然、効かない・・・之が普通の考えに成る。
効かない事をしても、意味がない・・・この部分で終わるか・・・・又は、釘だから効かない、他に何かないかと考えるのが、本来、人だし、人間と私は考えている。

又、糠を如何したいのかでも変わる・・・

要は、自分の意向を、どうすれば解っていただけるか・・・・こちら側の問題になる・・・

簡単に書けば、自分の意向も若しかすると我儘に成るが相手に、解っていただけるか・・・相手は興味を持っていないので、当然、聞く耳を持たない・・・・

私は、諦めず・・・之を大事に考えている・・・・勿論、先に書いた策を色々持っているレベルなら良いが・・・三流の私・・・策の数も限定されるので・・・・相手に興味を持ってもらう、この部分は待つしかないと考えている。

相手も変わる時が有る・・・この時を待つ・・・環境が変わる時も有る・・・人は変化を続けている・・・

力がない分、縁を切らない様に、添い続ける事に成る。




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