2018年7月30日月曜日

村祭り、中止・・・

我が村の、村祭り、昨日の開催だったが、台風の為に、中止・・・

今回の担当地域は、無くて良かったと成っている様だ・・・現実に若いと言っても、私位の人も居ない、高齢者が多い、地域の為に・・・お宮の旗挙げ作業も、他の地域が応援する形に成っている。

勿論、他の地域も、年々、高齢化が進むし、私達以下の年代の者が、誰も居ない、居ても無視、この様な、感じに成っている。

その為に、広報活動等々を、村の重鎮達に言うが、誰も重い腰を上げない・・・

現に、神社関係の為に、宮総代も何人も居る。その人達が腰を上げれば良いが、順送りの宮総代、何も解っている人が居ない現実も成る。

我が村のお宮は、歴史が古く、私の住む市では、一番古い神社に成る。
町の中心に、大きな神社が有るが、その親神様が、我が村の神社に成る。

この歴史的部分を知っている人も今は少ない、結果、昔なら、分家がお祭り、行事をする時は、必ず、我が村の神社の許可が要ったが・・・今は其れが無い・・・

結果、市で一番大きな神社その為にと、村の金の上納が他の村と同じで行われている。
本来、親神様の我が村の神社が、上納を受ける事は解るが、何故か、逆に成っている事さえ、疑問に持つ人が居ない。

簡単に書けば、本家と分家の立場・・・現代は平等と言う考えも有るが・・・この部分が逆転する事は、私は解らない。

之に疑問も持たない、住民と言う事だから、各家も同じ様に成っている。

私は、順序を重んじる・・・差別で無い・・・物事は同時には出来ない、結果、優先順位が必ずある。

この様な、事を、住民に教えて、自信を持ってもらう、之も大事だと考えている。

歴史が古いから、学者も多く来訪しているし・・・・発掘等々も行われている。

この部分を苦痛と思うから、後世に教えないし、普通の明治維新後多々出来た、神社と同じ感じ方に成っている。

蒲地城が有った場所が、我が村に成る・・・歴史を調べると、広い範囲を慮地として持っていた事も解る。
当然、その後、色んな人が、住みつかれているが・・・・その歴史を引いて、この地で生きている人も居る。

この様な、歴史を、今の人達が後世に伝えなければ、学校では教えない。

この歴史を、口伝えに、記憶している人も、現在では、80歳前後で、その方向性が好きな人に限る。

勿論、戦いも有るし、負け・勝も有るが・・・其れも歴史として考えれば、感謝に繋がる。

先に書いた、その時代から、繋がっている人が居る、之自体が感謝だと私は考えている。

以前も書いているが、時代が時代なら、松田聖子をお姫様と、守り使える立場だったかも知れない。結局は、城主の子孫も残っている、感謝に成る。

この様な、歴史が有り、この地域では、意味が有る、土地と言う事・・・其処に有る、神社、何か意味が有るし・・・・色々、学べる点も多々あると私は考えている。

神道でも無い、私が何故、詳しいのかも不思議・・・・この部分は、よく宮総代との、話で直ぐに問題に成る点・・・・普通の村の神社感覚が、今の総代・・・・其れとは違うと言うのが、私の考え・・・

先人から教わった、事に感謝しているから、後世に流したいと当然、思う・・・しかし、この行動が又、異端児的に回りには見えるみたいだ。

私の優先順位では、家の事と同じ位に、地域が来る、又、この部分に親族も入る。
この地域で暮らせるのも、地域社会が有るからだと私は考えている。
簡単に書けば、今の自分が居るのも、この様な環境が有ったからだと考えているし、感謝している。感謝しているから、自分で出来る範囲は、出来るだけ、したいと考えている。

しかし、我が村も、どんどん、各家が孤立化方向に向かっている。
何故か???・・・・・・我家は何時も、ワイワイ、煩いほどに、子供達が来るし、時には、大人、老人も来られる。

無知で、三流で、異端児と言われる、私の家に、何故か、多くに人が集まって来る。

しかし、よく見ると、全て、弱い立場の人・・・・強い立場の人は殆ど来訪されない・・・

之が、三流の証拠かもしれない。

一流な、当然、一流で優秀な人が集まって来る。

之も分相応と言う事に成る。



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